無駄学という本を読みました
2008.12.25
何を持って無駄とするのかという言葉の定義はこういう問題を扱う上では大切かなぁと思っていて、実際著者もその部分についてはしっかりと定義されており、私は以下のように理解しました。
まず、はじめに、本来はたすべき「目的」が存在するのはもちろん、その目的を果たすために「期間」が当然あり、その目的達成のために、お金に換算できる時間、労力、資源などを「インプット」として費やすと、何らかの形で成果、結果という「アウトプット」が生まれる。
一定量のインプットを投入すれば、それに見合うアウトプットが生じるのではないかという「予測」を事前に建てて「目的」に向かって行動するが、その予測に反して、インプットが当初予定よりも増えてしまったとか、逆に予想していたほどのアウトプットが生じなかった場合に、「無駄」という状態になる。
うーん、なんだかこうやって書くと難しいというか、カタいですねー。もうちょっと、自分の例に置き換えて説明しおそうとおもったけど、何がいいかなぁ...
(しばらく検討)
考えたあげく、最近走り終えたマラソンを例にしてみます
まず、「目的」はハーフマラソン完走となって「期間」については今年の目標だったので2008年1月から2008年12月までの間という感じの定義になります。
「インプット」の部分については、ハーフ完走するために、事前にどの程度の練習をしておけばいいかという自分なりの予測の下で、練習時間を確保し、必要に応じてトレーニングで利用するシューズやウェア、心拍計測できる時計等の資源を購入して、どれくらいの労力(というか練習量というほうが適切)を費すのかという感じでしょうか。
それらを投入することで、どの程度の走力が得られるのかという「アウトプット」の予測を自分なりにたてて、最終的にはハーフマラソン完走という「目的」を「期間」内に達成出来たので、これは無駄にはならなかったけど、これだと話がつながらないので、仮に、これをハーフではなく、フルマラソンに置き換えます。
そうすると、今回設定した「期間」では、絶対に「目的」を達成できなかったし、その「目的」の達成には、もっとインプットを増やすか、インプットの中身(練習内容)を見直して、密度濃くする必要があったけど、現在の自分の生活スタイル、体力、知識を考えても、現時点では、それは絶対に無理!
得られる走力もフルマラソンを完走できるほどにはなっていなかっただろうから、その場合には、投入した労力、時間などが「無駄」という結果になったんでしょうね。
こうやって自分の状況に置き換えて考えると、著書が定義した何をもって「無駄」とするかがよくわかりました。
ここまで延々と書いてきましたが、これはあくまで著書の持論を展開する上での前段階であり、何をもって「無駄」とするのかをきちんと言葉の上で決めておいた上で、人によっては「無駄」と見えるものも
立場を変えると無駄が無駄でなくなる例だ。つまり同じ行為でも社員にとっては無駄と感じ、会社組織全体としては有益なものになっている(P.40より)とあるように、立場によっては決して無駄でもないわけで、少なくとも何らかのインプットを投入した結果として、自分の当初予想よりも少ないが何らかの「アウトプット」は出せていることには代わりがないので、
・何故そのアウトプットが当初予定よりも少なかったのか?
・インプット自体もっと少なくても効率的にすれば同じアウトプットが出せるのでは?
という途中のプロセスに着目することの大切さを学んだ気がします。(トヨタ流に言うとカイゼンということなんでしょうかね?)
前作の渋滞学もですが、今回の無駄学も、一見すると小難しいそうな話題にみえる内容を、興味深い題材を使いながら見事に持論を展開されているので、この冬休みに何か読みたいと思っている人にぜひオススメします
投稿者 : 小山田 浩 | 投稿日時 : 2008.12.25 17:28
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