快楽の前借り
2009.08.09
薬物所持の事件でTVはもちろん、ネットでもこんなネーミングで話題になっていると思いますが、このニュースを見ていて2ヶ月ほど図書館でなにげに借りた麻薬とは何か―「禁断の果実」五千年史 (新潮選書)という本のことを思い出しました。
細かい読書メモ取らなかったのですが、人間が感じる 「快」の総量というのはおおよそ決まっており、薬物等で一時的な快楽を得る事が出来きるのは将来得られる「快」を前借りしているようなものであるというようなことが書かれていました。
また、本書の中で触れていたのが、こういう「快」の後にくる副作用のすさまじさというものについて以前はもっとビジュアル的に世間一般に伝えていたが最近はあまりそういう場面が少なくなったというようなことが確か書かれていたのですが、自分が子どもの頃は「覚せい剤やめますか、それとも人間やめますか」というCMだったり、あとは直接関係なけど積み木くずしでシンナー吸っている場面とかでなんとなくそういうものの恐ろしさというのが刷り込まれているように思います。
こういう薬物中毒の怖さをあまりリアルにビジュアル化すること自体が今だと叩かれそうな感じですが、うまいことその恐ろしさを伝える工夫って出来ないものなのですかね。
新潮社
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投稿者 : 小山田 浩 | 投稿日時 : 2009.08.09 18:33
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名前:パソナテック小山田2009年09月23日 21:16
renさん、コメントありがとうございます!
> 怖いものは怖いと感じることが最終的には
> 自己の判断基準を作ることになると思います。
怖いものを怖いと感じるっていうのは確かに大切ですね。
少し話しそれますが、昔サーフィンやっていた時に自分にとって怖いと感じるサイズの波というのは無理にチャレンジしてこなかったし、逆に無知がゆえに怖いと感じず無謀にチャレンジした結果本当に死を感じた時というのもあったりしたのですが、しっかりとした自己の判断基準を養うっていうのが大切なんだなぁーというのを改めて感じました。



名前:ren2009年09月07日 11:48
小学生のころ夏休み前などに、体育館に集められて、交通安全のムービーを見せられることがありました。
あれも、事故や手術の映像があったり、傷口が映し出されたり、相当インパクトがあったのですが、最近はそういうことも減っているのでしょうかね。
怖いものは怖いと感じることが最終的には自己の判断基準を作ることになると思います。
なにもかも、くさいものにふたをするばかりでは、余計に「未知のなんだか判らないけれど魅力的なもの」になってしまう気がします。