知的生産の経験を積む
2007.11.27
知識を力に変える術というエントリーでも同様の話をしたけれど、インプットしたモノ(情報であれ、音楽であれ)を、自身の体内で価値変換してアウトプットすることを「知的生産」と呼ぶ。
原材料を投入すると、さまざまな加工が行われ完成品に姿を変えて出てくる工場を思い浮かべると分かりやすいかもしれない。
もちろんこの場合、完成品の価値は、完成品に使われた原材料の価値の総計より高くなっている。付加価値がついているのだ。
インプットされたモノがアウトプットされない場合、それがどんなに優れたインプットであっても、それは「知的消費」であって価値を生み出すことはない。
原材料をいくら投入しても何も生み出さず、煙ばかりをモウモウと排出している工場と同じだ。当然、そこに付加価値は存在しない。原材料はいつのまにか蒸発してしまう。人間の場合だと忘れてしまうということだ。
いうまでもないことだけど、アイデアやデザインを創造することは知的生産である。
そして、これはみんな経験値として知っていると思うけれど、アイデアやデザインは、かなり「経験がモノを言う」世界だ。 最初から優れたアイデアやデザインを生み出すことなど奇跡的に難しい話であり、たくさんの失敗とわずかな成功を繰り返して洗練されていく。
誰しも苦い失敗を経験しているだろう。でもその失敗を経ることで、必ず成長しているはずであり、経験を積んだからこそ得たものがあったはずだ。
つまり、「知的生産」は経験値を積むことで洗練され、価値を高めてゆく。
同じ原材料を投入しても、経験値の高い工場はより価値の高い完成品をつくることができる。もしくは同じ原材料でも、より短時間に製品を完成させることができるようになるわけだ。
知的消費を繰り返している人は、この経験値を積むことができないので、常に知的生産を繰り返している人と比べ、とても不利なスタート地点からゴールへ向かうことになる。
常に一歩も二歩もリードされた状態で追いかけることを余儀なくされる。
「知的生産」と「知的消費」
結果はかなり違うが、元々は同じインプットである。
インプットされたモノを活用するか消費するかは、アウトプットするか否かの違いでしかない。ただし、この小さな違いが、人のキャリアを大きく変えることになる。インプットを価値転換してアウトプットするプロセスは、成長のエンジンになるのだ。
そして
「知的生産」は習慣だ。
意識的に習慣化することができる取り組みなのだ。わたしの場合、足掛け4年ほど続けているブログと書籍の執筆、そして研修の講師を「知的生産」の場として活用している。
「 知的生産」に特別な原材料はいらない。身の回りにある出来事だけでも、原材料としては十分すぎるほどだ。
ただし、敏感にアンテナを張っていなければ、原材料をキャッチアップすることはできない。常に知的好奇心を持ちながら、ものごとを捉える習慣が肝心で、そうした習慣を身につければ、原材料には事欠かないはずだ。きっとアウトプットするためにインプットを探すようになるだろう。
こうして知的生産の経験値を積むことが 、アイデアやデザインといった価値創造活動を洗練させるための、ひとつの解だと思う。
インプットしたらアウトプットを忘れずに↓↓
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※参考文献:ウェブ時代をゆく(ちくま新書)
投稿者 : 濱川 智 | 投稿日時 : 2007.11.27 08:16
生放送で得た気づき
2007.11.19
久々のTV出演は、なんと生放送。
(左端が筆者)
もちろん『初体験』なわけで。
朝日グループのCS放送「朝日ニュースター」というニュース・報道チャンネルの
へ出演。
Webのユニバーサルデザインの専門家という役割で、ゲストコメンテーターとして「朝まで生テレビ」ちっくにディスカッションしてきたわけです。
お客・利用者が抱えているニーズ・不安・不満・期待を、クリエイターはどれだけ理解しているのだろうか。
真の意味で、お客・利用者を理解しようとしている人間がどれほどいるだろうか。そのために具体的な取り組みをしているのだろうか。
番組を通じて提起されたこれらの問いに、真摯に向き合うことができないクリエイターに未来はない。大げさに聞こえるかもしれないが、これは真実だ。
逆に、それらの問いに真摯に取り組む人材は、飛躍的な成長が期待できる。
理由は簡単。利用者、つまり市場がそれを望んでいるからだ。
企業も市場の期待に応える人材を欲している。市場の期待に応えられない人材に投資するほどおろかなことはないからだ。
つまり、成長の機会を得るためにも、市場の期待に真摯に向きあうことが必要なのだ。
そのことの「気づき」になる番組だったと思う。出てよかった。
詳細については、筆者が所属するカレンのオフィシャルブログで確認してほしい。
また、番組中にも紹介したように、拙著「最強のWebコミュニケーションシナリオ」に、市場が望む人材や成果創出の方法が記載されているので、気になる人はぜひ。
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投稿者 : 濱川 智 | 投稿日時 : 2007.11.19 11:00
仕事を100倍楽しくする
2007.11.09
というエントリーを書いたけれど、その続き。
「やる」 べきことが明確になれば、当然仕事が効率的になる。しかし残念ながら、人間というものは効率がよいだけでは満足できない生き物なのだ。
効果・効率は大切。そんなこたぁわかっている。
でもね、それだけで「活気ある集団」に変われるかというと、それだけでは足りない。
やっぱり、仕事を「楽しい」と感じなければ、満足できないのだ。
逆をいえば、どんなに効率的・効果的な仕事(職場)でも、楽しくなければメンバーの満足度は高くならないし、モチベーションも上がらない。
そう。「楽しい」が必要。
では・どーする?
解はひとつではないので、そのうちのひとつを紹介。
「楽しい仕事をする」。
やる・やらないを明確にすることで、もっとも重要なのが
「やらないこと」を明確にすることだ。ムリ・ムラ・ムダになる「○○をやらない」と決めることが重要。
そして、その「やらないこと」の決定によって生まれるのが「時間」だ。
つまり、「できる・できない」で話していたものを、「やる・やらない」という軸で考え直し、やらないことを決めることで、時間を手に入れることができるのだ。
もちろん、「やる」ことが増えるかもしれない。しかし、「やらない」を決めることも忘れてはならない。
そして、やらないで生まれた時間を
「やりたいこと」に投入しよう。
そう。「やりたいこと」をつくるのだ。「やること」だけでなく。
もちろん、「楽しい」と感じられることだ。
「週末は早く帰る」でも「新サービスをつくる」でもなんでもいい。
やることとだけでなく、「やりたいことをやる」時間をつくる。
やりたいことに打ち込んでいるときほど、満足度の高い時間はないのだから。
「やりたいこと」「楽しいこと」ができなければ、モチベーションは上がらないし、仕事なんてちっとも楽しくない。
「やりたいこと」やってる?
「楽しい時間」つくってる?
「No」と答えた人。いますぐ
やらないことを決めて時間をつくろう。
投稿者 : 濱川 智 | 投稿日時 : 2007.11.09 08:33
会議を100倍効果的にする
2007.11.07
「できる」「できない」を話し合うのではなく、
「やる」「やらない」を決める。
これだけで、会議は劇的に変わる。
「できない」いいわけを100個集めても無意味 。
「できる」ことしか言わない会議もダメダメ。
でも、ほとんどの会議は「できる」「できない」の繰り返し。
それじゃ、みんな疲弊するし、やたらと時間が長引くだけ。
だから会議を
「やる」 ことと「やらない」ことを決めて、
「どのようにして」やる(やらない)を考える場にしなければならない。
そのためには、
・参加者各自が現在抱えている問題を紙に書く
⇒「毎日修正作業に追われている」
・その問題を 「どうすれば○○か?」に各自が変える
⇒「どうすれば毎日の修正作業を減らせるか?」
・ディスカッションを始める
⇒「わたしはこうすべきだと思う」という仮説の交換
⇒批判しない、違和感があるなら必ず代替案を出す
参加者が自分で問題と質問を書くことがミソ。
これで、自然と意識が課題へ向かう。自分の「できること」ではなく。
そう。
自発的に「何をやる(やらない)」べきで、「どのように」すべきかを考えることになるわけ。
ま・100倍はたとえだとしても、会議の質が劇的に変わることは確実。
そして、今すぐできるはず。
投稿者 : 濱川 智 | 投稿日時 : 2007.11.07 08:11
おじさんの憂鬱「最近の若者は・・・」
2007.11.06
今朝の「めざましテレビ」の、とあるコーナーが気になってしょうがない。
テーマは「待ち合わせ」 。
要は、若者の間で待ち合わせの定番が変化している、って話。
取材していた渋谷では、待ち合わせ場所も定番の「ハチ公前」から、「スタバ前」などへ多様化してきたらしい。
なかでも意外だったのが「特に待ち合わせ場所を決めない」 という人たちが「ハチ公前」に次いで2番目に多かったこと。
直接携帯でやり取りするから「渋谷(駅)」という約束だけでOKらしい。
ここまでは「ふ~ん」という感じだが・・・・。
もうちっと理由を聞くと
「どうせ時間どおりに来ないから、あえて場所を決めない」
「遅れてくる人には、携帯で行き先を伝えるから」
だから、
携帯さえあれば待ち合わせ場所なんて決める必要なし!
ということらしい。
絶句。
待ち合わせ=時間どおりには来ないもの
ということなのか?
本当か??
そうなのか???
たしかに携帯あれば、何時間も「待ちぼうけ」 なんてことは無くなるかもしれない。
だけど、だけどだよ・・・
この人たち(若者)は、後数年すれば社会人になるわけですよ。一緒に仕事するかもしれないわけよ。
お客さまのところに商談へ行くときに、携帯でやり取りしながら行くなんて考えられないし、ましてや遅れるなんて言語道断なわけだが、
奴ら「なんかやらかしそう」と率直に感じた。
「最近の若者は」なんて言葉を吐くようになると、イッパシのおじさんなわけだが、言っちまいましたよ。「最近の若者は・・・」
だって
時間にルーズなやつは仕事もルーズ。
というのが持論なわたしとしては、このような「最近の若者」は耐え難いわけで。
確かに最近、頭にも白いものがチラホラ目立つようになったさ。
おー・名実ともにおじさんだとも。
しかし、なんといわれようと、「どうせ遅れるから待ち合わせ場所決めない」なんて奴らと仕事するのはイヤだぞ。
ホント大丈夫だろうか。
投稿者 : 濱川 智 | 投稿日時 : 2007.11.06 12:20
知識を力に変える術
2007.11.01
残念ながら、知識というものは、放置しておくといつの間にか忘却の彼方へ去り行くもの。どれだけインプットの量を増やして知識を吸収しても、ただそれだけでは「力」にはならない。
イチローのバッティングフォームを、いくら穴の開くほど見つめても、ただそれだけでイチローのようなバッティングをすることはできない。たしかに、イチローのスイングの一部始終を知識として蓄えることはできるかもしれない。
しかし、現実はどんなに知識として理解していても、イチローのようにボールを打ち返すことなんかできるわけがないのだ。
情報や刺激をインプット(入力)することはメチャクチャ重要だ。インプットがなければ、想像力は芽生えないし、 そもそも成長することさえできない。
ただ、ここからが肝心なんだけど、せっかくのインプットも、ただ単に入力するだけでは、「へ~。そーなんだ。」で終わり。どんな貴重な情報も、「いつか役立つことがあるかも・・・」なんて、ただデスクトップに保存しておくだけでは、いつのまにか役に立たなくなってしまい、ゴミ箱行きの運命だ。
だから
情報や刺激を、自分の体内に根付かせ、いままで自身が持っていた血肉と結びつき、新しい「力」へ昇華させるためには、そのインプットを処理しなければならない。
知識は処理されることで形を変えるのだ。
一番分かりやすいのが、知識を自分なりに処理してアウトプットすることだろう。
例えば、本。
どんなに刺激的な本だって、そのままインプットした知識を放置すれば、そのうち細かな内容なんて忘れてしまう。 もしかしたら、読んだことさえ忘れるかもしれない。
しかし、読了した本の書評を書いた場合はどうだろう?
本の内容を自分なりに、整理して、気に入った点・不満な点、仕事に活用できる点などを自分なりに処理して、文章という形でアウトプットする。
こうした体験を経ることではじめて、知識は力へ変わっていく。
インプットは大切な気づきを与えてくれる。いわばアウトプットの種だ。
インプットした情報をひと手間かけるだけで、知識は力へ変わる。ただ、このひと手間をやらない人が案外多いので注意が必要だ。
知識を処理してアウトプットすれば、知識が力へ変わる。ということをもっとも感じるのが、書籍を執筆した後だ。断片的な知識やノウハウが、論理的に再構築されるので、執筆後はかなり「力レベル」が上がっていることを実感する。
とはいえ、せいぜい2冊しか書いていないけれど。
もちろん、いきなり本を書こう。というわけにもいかないだろうから、もっと簡単な方法を選択することになる。例えばブログとか。
わたしがブログを書くのも、日々の気づきをアウトプットして、自らの血肉にするため。つまり私にとってのブログとは、知識を力へ変えるための変換ツールなのだ。
--そうして、もう4年もブログを書き続けている。
昨日セミナーへ参加してくれた、約60名ほどの方々。
昨日は気づきの場です。ぜひ、そこで得た知識を力へ変える「ひと手間」を惜しまないでほしい。お願いします。
いい機会ですので、ぜひ書評を。
インプットを力に変えるチャンスだ。

投稿者 : 濱川 智 | 投稿日時 : 2007.11.01 08:02







