「考える」ということ
2006.03.30
前回以下のように書きましたが、これについてもう少し深く掘り下げてみます。
つまり、見たり聞いたり触れたりといった五感を通して身体に染みついた記憶があるからこそ、いまこうして手が届くところにある日々の現実との比較ができるわけです。そして、仕事力というチカラがあるとすれば、それは「頭で知っていること」ではなく「身体でわかっていること」の質と量によって左右されるはずです。
よく、対立概念として頭と身体(からだ)、もしくは心と体という表現が使われているのを見聞きします。そこで、例えば、次のような場合を考えてみましょう。
「頭では分かっているつもりだったが、とっさのことで身体が動かなかった」
どうすれば、次回以降このような失敗を回避できるでしょうか。言い換えれば、何を加えれば、とっさに身体が動くようになるでしょうか。
世の中のあらゆることは、ざっくりと以下の3つに分類できます。
1.考えればわかること
2.考えなくてもわかること
3.考えても分からないこと
このうち「3.考えても分からないこと」はいったん忘れましょう。すると、残る2つをどうするかということになります。
1.考えればわかること
2.考えなくてもわかること
1.考えればわかること
本から学べることの多くはこれです。極論を言えば、本には新しいことは一切書いていないものです。なぜなら、本を読んでその内容を理解できているからです。理解できない本があるとすれば、それは「3.考えてもわからないこと」であり、ここでは扱いません。
ここで、「考える」とさらりと書いてしまいましたが、これについて論じ始めると長くなりますし、理路整然と語る力も持ち合わせていないので、ここでは簡単に次のような行為である、と定義しておきます。
考える=自分が知っている知識を組み合わせること、あるいは何かに活用すること
この定義に従うと、「考えればわかること」というのは、「自分が知っている知識を組み合わせればわかること」ということになります。
よく先輩や上司から、
「オマエ、もう少し考えて行動せーやー!」
「ナニ考えとんねん!」
などと叱責されることがありますが、これは以下のように言い換えることができます。
「あなたは、自分が知っている知識をもう少し行動に活用するようにしなさい」
「あなたは、自分が知っている知識を活用していないか、もしくは活用方法を間違っています」
結局のところ、本から得られることは、考えるための材料としての「知識」であって、その組み合わせ方や活用方法は学べないのです。だから、いくら本を読んで勉強をしたところで、そこで得られた知識を実践の場で試してみないことにはいつまでたっても叱責から逃れることができません。そして、
「考えたらわかるやろがー!」
と言われたら、それは、
「あなたの持っている知識をいろいろな場面で使ってみれば、きっとわかります」
という意味になるでしょう。
そして、仕事をする上では、「知識を活用できるようになること」が求められます。つまり、頭で知っている状態から身体が動くようになる状態にシフトする必要があるのです。
紙幅が尽きました。「考えなくてもわかること」についてはまた次回に。
投稿者 : 大橋 悦夫 | 投稿日時 : 2006.03.30 01:12





