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「行き当たりばったり」でもいいじゃないか

2008.12.23

「行き当たりばったり」というと、無計画でだらしない、あるいは向こう見ずで頼りない、といったどちらかと言えばネガティブなイメージが漂います。

でも、どれだけ緻密な計画を立てたとしても、必ずしもその通りになるわけでもなく、むしろ計画に忠実に行動するよりも現実に即してフレキシブルに行動を変化させていく方が望ましい結果が得られる、ということはあります。

もちろん、この主張には「行き当たりばったり」を正当化せんとするための方便が少なからず含まれていますが、それを差し引いたとしても、「行き当たりばったり」を全否定するほどの悪材料が残るとも思えません。

ありていに言えば、人生とは常に行き当たりばったりなのではないか、とさえ思うのです。

そもそも計画というのは「過去の実績から考えると、次に着地するのはこのあたりではないか」という、過去からの延長線上に描いた“点線”でしかありません。

何もない白紙に向かってマジックペンでまっすぐな線を引こうとするのに比べると、予めうっすらと点線が引いてあり、これに沿ってマジックペンを走らせることは安全性と確実性の面で有利です。

でも、点線にとらわれすぎると、上空からしかその形を捕らえられないナスカの地上絵よろしく、「全容」を知らぬままに一生を終えてしまうかもしれません。

まぁ、それは大げさとしても、時には勇気を持って点線から離れることも無駄ではあるまい、と思うのです。

点線は「常識」と言い換えてもいいかもしれません。過去の実績から延長したものですから、そこには過去から引き継いだ前提や原則やルールといった「しがらみ」もあるでしょう。それがあるからこそスムーズに事が運ぶということもあるでしょうし、逆にそれがあるがゆえに無意識のうちに排除されてしまっている選択肢もあるかもしれません。

だからこそ、時にはあえて「行き当たりばったり」で行動してみる。そうすることで、知らぬ間に脇に押しやっていた選択肢を視界の内に引き戻し、新しい展開を呼び起こすのです。

あるいは、そうした「突然変異」のほうがもともと求めていた方向性に近かった、ということもあるかもしれません。言ってみれば「行き当たりぴったり」とでもいうような。

・・・という行き当たりばったりな文章を書いてみました。

▼次にすること:
・週に1度は「行き当たりばったり」で行動してみる


▼明日やめること:
・人のことを羨むこと(代わりに自分で誇れるところに改めて目を向ける)
→ 自分で誇れるところ:意外と「行き当たりぴったり」なところ


※「やめること」を書き始めた理由はこちら

投稿者 : 大橋 悦夫 | 投稿日時 : 2008.12.23 23:59

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