「ドラえもん」を深く読む
2007.01.29
「ドラえもん」と言えば、私の世代前後なら知らない人はいないくらいの(あくまでも大山のぶ代バージョン)有名なマンガですが、折に触れて
「そういえば、あの道具というのは現代においてはすでに商品化されているよな」
とか、
「自分が生きている間は実現不可能だろうな」
などと、ドラえもんの道具を引き合いにして考えることがあります。
そんな中で、たまたま「ぼくをタスケロン」というキーワードを検索をしていて見つけたブログ「藤子不二雄ファンはここにいる/koikesanの日記」で非常に深い考察を見つけて、思わず読みふけってしまいました。
「ぼくをタスケロン」というのは球状の薬で、それを飲むと、飲ませた人の下僕同然となって奉仕をさせられてしまうという、マインドコントロールを誘発する効能を持っているようです(催眠作用でしょうか)。
ともあれ、このブログでの解説と考察を読んで、検索をした目的は達せられたのですが、同じエントリーにある「ビョードーばくだん」という道具の考察の以下の一節に目が留まりました。
本作には、かけっこで皆が横並びになって同じ速さで走る一コマがある。こんな光景は、藤子・F先生がこの話を描いた1980年当時には絵空事の笑い話だったろうが、後年、かけっこで児童に手をつながせ横並びにゴールさせる学校が現実に出現し、結果的にこの一コマが予言的な色彩を帯びてしまった格好だ。
このようにマンガに描かれた行動と、現実に生きている人びとの行動とを対比させることによって、何かを見いだそうとする姿勢は、マンガならではの特性を活かした試みのように思われました。マンガに何気なく描かれた情景が、何十年か何百年かあとに貴重な歴史的痕跡として扱われるかもしれないからです。
作者のフィルターを通した世界とはいえ、マンガには描かれる絵そのもの以上のメッセージが込められているような気がします。
ちなみに、最初に「ぼくをタスケロン」という言葉を思いついたのは、仕事の締め切りに追われていた刹那にふと「ぼくをタスケロン!」という言葉が頭に浮かんだからでした。
投稿者 : 大橋 悦夫 | 投稿日時 : 2007.01.29 15:03
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