「ゴミ袋が会社に行った方がマシ」
2007.08.31
「ぼくなんかが会社に行くより、ゴミ袋が会社に行った方がマシなんじゃないだろうか…」これは、『ツレうつ』(『ツレがうつになりまして』)に出てくる台詞なのですが、実はそっくりに多様な台詞を、実際に聞いたこともあります。その方もうつ病でした。
この台詞1つとっても、「うつ」というのが考え方や「発想法」の問題などではないことが分かります。「生真面目すぎる性格」などとの相関性もよくあげられますが、「性格」の問題だとも思えません。
人は、どんな人でもまず、「自分よりゴミ袋が会社に行った方がマシ」などという発想自体、なかなか思いつきもしないものです。ましてこんな発想を、真面目に喋るのは困難です。
誰が見ても明らかなとおり、これは「自分」と「ゴミ」の価値とを比較しているわけではありません。自分がいかに無価値な存在であるかを、とびきり強調していっているわけです。
このような極端な感覚を支えているのは、どう見ても理屈ではなく情動です。きわめて強固な情動的確信が支えになっているために、その上にはどんな理屈でも乗せることが出来るわけです。
たいていの場合、情動が理屈を作り出し、その理屈が情動を強化します。朝起きて何となくスッキリしないと、「そういえば昨日はよく眠れなかった」という「言葉」を意識化し、その「言葉」が「寝不足の感覚」を保証します。情動と理屈が行き来をするうちに、そこに感覚の確信が根付くわけです。
そういうときには、何も意識化しないに限ります。「明るいことを考える」ことが出来るためには、ある程度そこに情動的なリアリティが必要です。全然情動的な背景がない場合には、「明るい考え」は空々しくなり、もっとひどいと、明るい青空すら空々しく見えるものです。
投稿者 : 佐々木 正悟 | 投稿日時 : 2007.08.31 19:46
「がんばれ」がいけない理由
2007.08.30
おそらく、特に深い意味もなく「まあがんばって」のように、言っている方も言われている方も無責任モードであれば、そう深刻な問題とはならないのでしょう。
ただそれが、理路整然と、あるいは少し追い詰めるような調子で「がんばれ」という言い方をされると、きつくなるのだと思います。それは、「うつ」のような心理状態になると、高次の精神機能を活性化させるだけの、十分な神経伝達物質やそのエネルギーが、枯渇してしまうからなのでしょう。
これは、「がんばれ」という言葉を「忌み言葉」にすることに、深い意味がないことを示しています。むしろ「がんばれ」と告げる精神とぶつかってしまうことが、問題を悪化させるのです。
自分の精神状態を制御するのは、そう容易なことではありません。覚えにくい漢字を覚えたり、一週間の旅行日程を頭の中でシミュレーションしたり、将来設計を立てたり、苦手な人とコミュケーションをとったりすることは、独特の心の負担を強いられます。言いかえると、「がんばる」必要があります。
そのような精神力を発揮しようとすること。これを「うつ」の患者さんに強いてはならないということなのでしょう。
投稿者 : 佐々木 正悟 | 投稿日時 : 2007.08.30 23:43
「じっくり」と「さっさと」のせめぎ合い
2007.08.29
たしかに、ビジネス・パーソンの立場からしてみれば、「うつ」という病気は単に「治る」というだけではダメで、できるだけ早く、もっと言えば「リストラされる前に」治ら(治さ)なければならない、というものです。
一方で、当然ながらお医者さんの方は、「焦っては良くならない」点と「再発」について慎重であるよう促します。「うつ」という病気は再発率が高いこともあって、「今無理をせずじっくりと」というアドバイスはどんな本にも登場するほどです。
「うつ」の治療経過の本を読んでいると、F1レースの「ピットイン」を見ているようです。メンテナンスは万全でなければなりませんが、ゆっくりやっていてはレースでどんどん不利になります。だから、コンマ1秒でも早く「元に戻す」必要があるのです。そうした切迫感が、本の中から伝わってくるのです。
けれど、この喩えは実のところ不適切だと思います。というのも、「ピットイン」ですることはメンテナンスですが、「うつ」の治療がメンテナンスだとは思えません。
私が思うに、「うつ」とはむしろ「ガス欠」に似ているようです。というのは、本当は「ガソリン」を補充するために「ガソリン」がわずかにせよ残っていなければいけないのに、それすらなくなってしまい、「ガソリン」を補充する手だてがないまま、クルマが動かない状況なのです。
人間の「心のガソリン」が補充されるには、睡眠を取るのが何よりですが、その睡眠を取るためにも、わずかとはいえ「心のガソリン」が残っていることが必要です。それすらなくなって完全に「心のガス欠」に陥ると、眠ることすらできなくなります。
言うなれば、これが人間の「停滞」状況といえます。睡眠中、人は「停滞」してなどいません。睡眠というのは、覚醒時とは全く異なる「活動」状況なのです。
ガス欠となれば、ガソリン・スタンドまで歩いて車を押す必要があるように、何でもないことができるようになるまでに、大変な道のりを歩かなければなりません。この「歩み」がそのまま「うつ」の治療に当たるのだと思います。
問題は、どこまで「ガソリン」を補充できたら、活動を再開して良いのかが、現実のガソリンほど目には見えないところです。しかしくれぐれも、ガソリンスタンドまで行けるだけの「予備のガソリン」が手に入ったからといって、それで「遠出」(仕事)してしまってはならないわけです。それでは中途で再び「ガス欠」(再発)するのは火を見るより明らかです。
投稿者 : 佐々木 正悟 | 投稿日時 : 2007.08.29 18:18
学習性無気力
2007.08.28
これが、「学習性無気力」と呼ばれる感覚です。
これは楽観主義の研究で有名なセリグマンの実験結果で補強されている理論です。セリグマンは、逃れられない電気ショックを繰り返し犬に対して与えると、いつかその犬は電気ショックから逃れようとしなくなり、うずくまったままになってしまうのです。
このように、無気力を学習してしまった動物は、基本的な生理欲求である食欲や性欲を失います。しかも、脳内化学物質が変化にともなって、体重が減少し、潰瘍のような病気を患うまでに至るのです。
私たち人間の「抑うつ」にも、これと似たような特徴があるでしょう。セリグマンも「学習性無気力」と「うつ」との共通点を指摘しました。同じものではありませんが、似たところはあるでしょう。
だとすれば、「うつ」とは、逃れることのできない、ないしはコントロールのきかない不快な体験を、繰り返しうけることでもたらされる、と考えることができるかもしれません。
理不尽に繰り返される上司のパワハラや、どうやってもよい成績を収められないような学校で競争させられる子供は、自分がどうやっても環境はびくともしないということを学習してしまって、うずくまって苦痛を甘受するだけになるというような意味です。それは確かに、「うつ」の1つの原因となりそうです。
投稿者 : 佐々木 正悟 | 投稿日時 : 2007.08.28 23:57
「うつ」になる「原因」
2007.08.24
しかし、カウンセラーやお医者さんによっては、「うつになぜなったのか?」などという原因にはまったく関心を示さず、もっぱら「治療法」だけを問題とする。そのことが不信感につながる。そう言っていたうつの知人がおりました。
原因にまったく興味がないわけではなくても、原因を探ることはほとんどしない、というお医者さんの姿勢には相応の理由があります。中でも重要な理由は、原因を特定するのが多くの場合不可能に近いことと、たとえ原因をさぐったところで、それが必ずしもよい結果につながらないことでしょう。
私の知り合いのカウンセラーが、ある苦い体験を話してくれました。そのカウンセラーさんは、「おそらくこれであろう」と一定の確信を持って「原因」らしきものをクライアントさんと話し合ってみたのですが、その「憶測」がクライアントには大変「不愉快」だったらしく、クライアントさんとの関係が修復できないほどこじれてしまったということです。
こうしたことが3回もあれば、カウンセラーや心療医としてはもう十分すぎるくらいです。現在は薬物療法も発達してきましたから、病状が好転すればいい、そのことに意識を集中すべきだ、と治療する側としては考えるのでしょう。
ただ、一過性の病気であればともかく、病気になった側としては、慢性的な苦しみにさいなまれていると、必ず「なぜ自分がこんな目に?」と考えるのがふつうです。精神病ではありませんが、私も20年間アトピー性皮膚炎に悩まされていたとき、何度もそう自問したものです。
私の考えでは、この難しい問題を克服するためにこそ、一方で「精神分析学派」(フロイト・ユング派)という人たちがいて、もう一方では最近主流となった「脳神経学」(投薬療法など)があると思うのですが、ぶっちゃけて言うと、両者が全然仲良くないのが、状況をいっそう複雑にしています。
投稿者 : 佐々木 正悟 | 投稿日時 : 2007.08.24 15:02
『ツレがうつになりまして。』
2007.08.23
そのなかでも、『ツレがうつになりまして。』(以下『ツレうつ』)はとてもよいマンガです。
・さっと読めます
・自分がうつになったら、きっと思考がこんなふうに展開してしまうのだろうということが、非常にわかりやすく表現されています
・自分の家族がうつになったら、おそらくはこういうふうに反応するだろう、という点も、リアルに描けていてわかりやすいです
この本は、ほのぼのとした絵柄で、シリアスさがあまり感じられないように読みますが、中にはかなり恐ろしいことも入ってきています。
たとえば、うつになったばかりの「ツレ」さんが、ホームで「声」を聞きます。こんな声です。
「敵は自分自身だ」細川貂々『ツレがうつになりまして。』(幻冬舎)
「必ずしとめるんだ」
「オマエはゴミでクズで最低の人間だ」
「死んだ方が世の中のためだっ」
「ホラ 今だっ」
こんな「声」がいったいどこからしてくるのでしょう? といえば「自分の中」からなのですが、そうはまず感じないはずです。ちょうど夢の中に私の祖父が出てきたとき、その祖父を実は自分の脳が「作り出している」とは決して感じられないように。
精神障害の難しさは、起きていて夢を見ているようになってしまうところにもあります。(夢見と精神障害とは異なりますが。)それは、ふつう私たちが知っている問題への対処の仕方である、「考え方」や「気の持ちよう」の問題とは、次元を完全に異にするのです。
夢の中で、数学の難問をどれほど「正しく」解いたとしても、あるいは交通マナーをキチンと守って「正しく」運転していたとしても、それらの「正しさ」は前 提条件が間違っている(テストも受けていなければ、運転してもいない)ため、「正しい(前向きな、明るい)考え方」というアプローチが、あまり意味をなさ ず、場合によってはきわめて有害になってしまいかねないわけです。
投稿者 : 佐々木 正悟 | 投稿日時 : 2007.08.23 15:29
ごあいさつ
2007.08.22
本日より「あすなろBlog」にて「メンタルハックス」というブログを書いていくことになりました、佐々木正悟(しょうご)です。
「メンタル・ハックス」というタイトルは、メンタルヘルスをテーマに、心の健康を保つちょっとした工夫とエッセイを書いていこうと考えて、名付けました。
より具体的には、
たとえば「うつ」を予防する上で自分が気をつけていること
さっと読み流す間に気分がよくなるような小話や書評
「心の医学」の予備知識のようなモノや本の情報提供をしていく
といったあたりを念頭に、書き進めるつもりです。
できるだけ簡単に、できるだけ短く。
でも実はこの2つは矛盾するところのある要請なので、時にどちらかを裏切ることになるかもしれません。でも両方を裏切って、難しくて長いのは絶対書かないつもりです。
その私は、心理学ジャーナリストというちょっと微妙な肩書きを名乗っております。
自分の食い扶持は、本の原稿、雑誌の原稿、各種ブログ、取材、セミナー、編集プロダクションのまねごと、それにかなり素人くさい財テク、等々から得ております。
ただし、本当にやりたいことは、自由にできるオンライン雑誌の編集です。もちろん、心理学・脳科学雑誌のです。
前野隆司さんや池谷裕二さんなどにご執筆いただいたり、DAノーマン、ラマチャンドラン、アラン・ボブソン、アントニオ・ダマジオといった面々の寄稿を翻訳して掲載したり、フラッシュのようなものを駆使して脳の動きを図示したりできれば、もう最高ですが、ほとんど妄想に近い話です。
しかし、ここではもっと地に足をつけ、皆様のお役に立つような「心のうがいの習慣」をブログふうに書いていく予定ですので、「うがい」ですからお気軽におつきあいいただければと思います。
それでは、明日からよろしくお願いします!
投稿者 : 佐々木 正悟 | 投稿日時 : 2007.08.22 12:11





