決して公正ではない見方であっても
2007.09.04
A国とB国が戦争をしているとします。A国の方は戦力的に若干余裕のある国であり、その分戦争中にも「自由な報道」が許されます。
そのA国の中でも、多少とも「反政府的な」新聞記者が、できるかぎり「公正中立な」視点で記事を書いたとしましょう。この記事ははたして、「公正中立」なものになるでしょうか?
まずならないはずです。「うつ病」の患者さんの、「理性的な状況判断」もこれと似たところがあります。
だれしも、自分の状況がせっぱ詰まっているというのに、そう「第3者的に客観的な判断」を出来るものではありません。
・なぜ自殺するしかないような気がするのか?
・なぜ身体が悪くなくても身体が動かないのか?
私たちにはたしかに、自分の感情が判断に強い影響を与えていると「自覚する」ことで、理性的判断にすら酌量を加えるということは可能です。が、そうしたからといって妥当な判断が出来るとは限りません。
まして、その判断にもとづいて行動するとなると、全然話が違ってくるでしょう。
それでも私たちは「判断しない」というわけにはいきませんし、「自己奉仕バイアス」の強い影響下にあっても、その判断を活用して生活するしかありません。
ですから、健康なときに「万が一に備えて判断しておく」というのは、いい方法だと思います。
そのA国の中でも、多少とも「反政府的な」新聞記者が、できるかぎり「公正中立な」視点で記事を書いたとしましょう。この記事ははたして、「公正中立」なものになるでしょうか?
まずならないはずです。「うつ病」の患者さんの、「理性的な状況判断」もこれと似たところがあります。
だれしも、自分の状況がせっぱ詰まっているというのに、そう「第3者的に客観的な判断」を出来るものではありません。
・なぜ自殺するしかないような気がするのか?
・なぜ身体が悪くなくても身体が動かないのか?
私たちにはたしかに、自分の感情が判断に強い影響を与えていると「自覚する」ことで、理性的判断にすら酌量を加えるということは可能です。が、そうしたからといって妥当な判断が出来るとは限りません。
まして、その判断にもとづいて行動するとなると、全然話が違ってくるでしょう。
それでも私たちは「判断しない」というわけにはいきませんし、「自己奉仕バイアス」の強い影響下にあっても、その判断を活用して生活するしかありません。
ですから、健康なときに「万が一に備えて判断しておく」というのは、いい方法だと思います。
投稿者 : 佐々木 正悟 | 投稿日時 : 2007.09.04 19:44





