TOP > 作家の作業日報 > 2007年11月08日

あすなろBlogger

facebookに投稿 このエントリーを含むはてなブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク このエントリーをはてなブックマークに追加 この記事をクリップ! livedoorclip ユーザー数 BuzzurlにブックマークBuzzurlにブックマーク この記事をtweetする

「分かって欲しい」「…でも何を?」

2007.11.08

昨日、NHKの「ためしてガッテン」で「怒りのメカニズム」について放映されていました。

テレビでも伝えられていたとおりで、「怒り」とは生理的な反応であり、警告であると、よく心理・生理学で指摘されます。

「反応」であるということは、身も蓋もない言い方をするなら、「ボタン」を押すようなものだとも言えます。実際、人の怒りを思わず買ってしまうことを、「地雷を踏む」などとも言います。

「地雷を決して踏まないようにする」――ということは残念ながら非現実的です。ある種の人の「地雷」は全く思いもかけぬところに埋まっていて、しばしば自分が踏んでも気づかぬほどです。

だから問題は、「地雷」が爆発した直後だということになります。このとき、「怒り」が反応型の警告だとすれば、人は怒ることで何かを「伝えよう」としているのだと理解できるでしょう。

その「伝えよう」としていることを理解し、さらに「理解しましたよ」というメッセージを相手に受け取らせることさえできれば、「怒り」は収まります。つまり「怒り」を鎮めるステップは

1,「警告」の内容を理解する
2,「警告」を理解しているというメッセージを返信する
3,相手にそのメッセージを納得してもらう

ということになります。理屈はそうなのですが、1も2も3もすべて難しいステップです。特に1の、「怒っている人」が「分かって欲しい」内容というのは、めったに明快ではありません。

「分かってる?」というのはしばしば、脅迫の文句にもなっています。つまり、これといった目的(語)は必ずしも必要ではなく、それでも「分からせたい」というのが「怒り」というものです。

何が「分かれ」ば「怒り」が収まるのか。それを明らかにするのは、相手にも不明な場合が多いのですから、ひどく困難です。逆にいえば、それさえ明らかにできれば、トラブルを収める大きな一歩を踏み出すことができます。

投稿者 : 佐々木 正悟 | 投稿日時 : 2007.11.08 15:36

カレンダー

<< 2007年11月 >>

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

最新のエントリー

最新のトラックバック

最新のコメント

Tag

バックナンバー