TOP > 作家の作業日報 > 学び > きっともう一語も書けなくなるさ

あすなろBlogger

facebookに投稿 このエントリーを含むはてなブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク このエントリーをはてなブックマークに追加 この記事をクリップ! livedoorclip ユーザー数 BuzzurlにブックマークBuzzurlにブックマーク この記事をtweetする

きっともう一語も書けなくなるさ

2010.03.17

 

 現実に、いくつかの実験によれば、自分を低く考えていたり能力を過小評価している人間は、不協和をもたらすような成功を不快に感じ、不幸な偶然であるとか異常なこととして片付けてしまう。

 だから、励ましてくれる友人や家族にも頑なな態度をとってしまう。「すごいわ、ピューリッツァー賞をもらうなんて。素晴らしい作家だということよね」といわれれば、「いい話だが、まぐれだよ。きっともう一語も書けなくなるさ」と返すのだ。これでわかるように、自己正当化は高い自尊心を守るだけではない。低いならば低いなりの自尊心も、自己正当化によって守られるのである。

(『なぜあの人は過ちを認めないのか』より )

 

 

斜に構える、あるいは慎重な態度ということもできるのであるが、人が守るべきは自己自身や、自己イメージだけではないということだ。

人は、自分が生きている世界の自分なりのとらえ方のようなものも、とても大事にしている。「その世界」での「自分の生き方」をイメージしているからだ。

だから、「その世界」における「自分の能力」についても「よく知っている」のであり、「その世界」で起こりうる、「最悪のこと」も「最善のこと」も「知っている」のである。

現実に起こった「善いこと」が「自分の知っている世界」で起こりうるよりもはるかによいことだというのは、「いい話」だが、危険なことだ。それでは「自分の生きているこの世界」は「現実」をきちんと反映していない、ということになる。

つまり、はるかによいことが起こりうるということは、はるかに悪いことも起こりうる、という可能性を示唆する。 

 

なぜあの人はあやまちを認めないのか
なぜあの人はあやまちを認めないのか戸根 由紀恵

河出書房新社 2009-03-20
売り上げランキング : 47018

おすすめ平均 star
star「認知不協和理論」と「自己正当化」によるコンパクトで強烈な説明

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

投稿者 : 佐々木 正悟 | 投稿日時 : 2010.03.17 16:58

あすなろBLOGのトラックバック・コメントは承認制になっています。
すぐにブログに反映されませんので、ご了承ください。

トラックバックURL


コメントの送信








カレンダー

<< 2010年03月 >>

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最新のエントリー

最新のトラックバック

最新のコメント

Tag

バックナンバー