きっともう一語も書けなくなるさ
2010.03.17
現実に、いくつかの実験によれば、自分を低く考えていたり能力を過小評価している人間は、不協和をもたらすような成功を不快に感じ、不幸な偶然であるとか異常なこととして片付けてしまう。
だから、励ましてくれる友人や家族にも頑なな態度をとってしまう。「すごいわ、ピューリッツァー賞をもらうなんて。素晴らしい作家だということよね」といわれれば、「いい話だが、まぐれだよ。きっともう一語も書けなくなるさ」と返すのだ。これでわかるように、自己正当化は高い自尊心を守るだけではない。低いならば低いなりの自尊心も、自己正当化によって守られるのである。
(『なぜあの人は過ちを認めないのか』より )
斜に構える、あるいは慎重な態度ということもできるのであるが、人が守るべきは自己自身や、自己イメージだけではないということだ。
人は、自分が生きている世界の自分なりのとらえ方のようなものも、とても大事にしている。「その世界」での「自分の生き方」をイメージしているからだ。
だから、「その世界」における「自分の能力」についても「よく知っている」のであり、「その世界」で起こりうる、「最悪のこと」も「最善のこと」も「知っている」のである。
現実に起こった「善いこと」が「自分の知っている世界」で起こりうるよりもはるかによいことだというのは、「いい話」だが、危険なことだ。それでは「自分の生きているこの世界」は「現実」をきちんと反映していない、ということになる。
つまり、はるかによいことが起こりうるということは、はるかに悪いことも起こりうる、という可能性を示唆する。
| なぜあの人はあやまちを認めないのか | |
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投稿者 : 佐々木 正悟 | 投稿日時 : 2010.03.17 16:58
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