人はなぜ渋滞が嫌いなのか?
2009.09.21
ときおり考えることですが、シルバーウィークということもあって渋滞情報をよく目にするので、またこんなことを考えています。
私は「心理学上の特異点」とでも言うべきものには、勝手に目がいってしまいます。人は個人差があって、他人の好き嫌いを修正することは、ほとんどの場合不毛な努力に終わるし、その理由も比較的明瞭です。
しかし、たとえば「異性の好み」はこんなにも人によって違いがあるのに、こと「渋滞」となると、まだ「好き」という人には出会えません。とても不思議です。
そこで自分は、「渋滞」のどんなところがそれほどいやなのかをとりあえずは内観すべく、渋滞時にブレーキとアクセルの踏み替えに注意してみたり、時間感覚に注意してみたりしましたが、どうもこれといった嫌悪刺激を見つけられませんでした。
そんなことよりも一つ、絶え間なく意識に上ってきたのが、「ドライブのイメージ」です。渋滞というのは、ドライブのイメージとは、何とかけ離れていることか。ドライブのイメージなど、それこそ千差万別でしょうが、ドライブのイメージが「渋滞的」という人は、希ではないでしょうか。
ここから話を広げてみて、こうした意味での「イメージ」の研究というのは、きっと面白いと思いました。私たちは、そんな「イメージ」に人生を左右されている部分が、きっと小さくないという気がするのです。
投稿者 : 佐々木 正悟 | 投稿日時 : 2009.09.21 11:21
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名前:nokiba2009年09月21日 23:28
そうですね。好きになれずとも、慣れるということはありますね。
そういう文脈で考えると、「慣れる」とは、「イメージが修正されるプロセス」とみなすこともできそうです。これは一つの視点ですね。






名前:虹の父2009年09月21日 12:53
日常的に渋滞を経験していると、「慣れる」ということもあります。
仕事の時は、ドライブ=渋滞のイメージ、プライベートでは従来通りの「渋滞的でない」イメージ、そんな風になるんでしょうか?
昔の話しになりますが、愛知万博に何度となく行ったときは、1時間とか2時間という長時間列に並ぶことが苦ではなくなりました。(あきらめが早くなったような感じです)