ローカルをさぐること
2008.08.01
今のように、どこへ行ってもネットにつなぐことが可能になりつつある世の中では、「ローカル」という領域が、何かこう非常に「取り残された」空間のように感じられるから不思議です。
あくまでもこれは感覚の問題に過ぎなくて、実際には「勝手に更新」されないから「取り残される」などということはないわけですが、しかしそう感じられるということは、少なくとも私に関してはたしかなところです。
もう絶版になってしまいましたが、『ロボット心理学』という本を上梓したことがあり、その中で、「ネオフィリア」という概念を紹介しました。「新しもの好き」という意味です。これは人間のことなのです。もしくは、人間に強く備わっている性質のことです。
人間がネオフィリアであることは、たぶん良いことでしょう。しかし、この性質を強く持つ私のことを振り返ると、ネオフィリックであることは、生活を空回りさせることでもあると感じます。
これまた感覚的ですが、新しいメールを喜び、新着RSSをあさり、新刊書に目が走り、常に新しくて喜ばしい刺激に注意をフォーカスしていると、ポンプを浅く何度も上下させて、「水が出ない!」と言っているような気持ちになるのです。
だからといって、本は古典ばかり読んで、昔のメールをじっくり探っていくというスタイルは、およそ現実的ではありません。結局「自らのネオフィリックに抵抗する」という程度のことしかできないわけですが、ネットを渉猟するうちに、「既得の世界」へ誘導されるような仕組みが自分には必要だと、最近は特に思います。
あくまでもこれは感覚の問題に過ぎなくて、実際には「勝手に更新」されないから「取り残される」などということはないわけですが、しかしそう感じられるということは、少なくとも私に関してはたしかなところです。
もう絶版になってしまいましたが、『ロボット心理学』という本を上梓したことがあり、その中で、「ネオフィリア」という概念を紹介しました。「新しもの好き」という意味です。これは人間のことなのです。もしくは、人間に強く備わっている性質のことです。
人間がネオフィリアであることは、たぶん良いことでしょう。しかし、この性質を強く持つ私のことを振り返ると、ネオフィリックであることは、生活を空回りさせることでもあると感じます。
これまた感覚的ですが、新しいメールを喜び、新着RSSをあさり、新刊書に目が走り、常に新しくて喜ばしい刺激に注意をフォーカスしていると、ポンプを浅く何度も上下させて、「水が出ない!」と言っているような気持ちになるのです。
だからといって、本は古典ばかり読んで、昔のメールをじっくり探っていくというスタイルは、およそ現実的ではありません。結局「自らのネオフィリックに抵抗する」という程度のことしかできないわけですが、ネットを渉猟するうちに、「既得の世界」へ誘導されるような仕組みが自分には必要だと、最近は特に思います。
投稿者 : 佐々木 正悟 | 投稿日時 : 2008.08.01 16:39
あすなろBLOGのトラックバック・コメントは承認制になっています。
すぐにブログに反映されませんので、ご了承ください。






名前:稀2008年08月04日 00:09
「ロボット心理学」はアマゾンで調べてみたら、新刊で購入できるようです。参考になれば幸いです。