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CTOインタビュー

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第13回(1)KLab CTO仙石氏「ひたすらコンピュータに没頭した学生時代」

2007.12.18

第13回では、自らも技術者であり、会社のブログやご自身のブログで、コンピュータ業界や技術者のキャリアについてのオピニオンを発信しつづけている、KLab株式会社取締役CTO仙石浩明氏へのインタビューです。(1)では、仙石氏の技術への想いのルーツをお聞きします。

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KLab株式会社CTO仙石氏の経歴

1992年 京都大学大学院 工学研究科情報工学専攻修了
同年       株式会社日立製作所入社
           システム開発研究所へ配属
2000年  サイバード社入社
           サイバード社の研究・開発部門であったケイ・ラボラトリーが分社独立
          同社取締役CTOに就任

 

なぜかはじめからコンピュータが好きだった

■そもそもコンピュータに興味を持ったきっかけから教えていただけますか。
通っていた中学校に、マイコン部があったのがきっかけでした。当時、コンピュータはほとんど普及しておらず、そういったクラブにでも属さないとコンピュータには触れられない時代でした。もし中学校にマイコン部がなかったら、コンピュータに興味を持つのは、もっと後になってからだったでしょう。

■1980年代ですか
1970年代の末です。私が12歳の頃です。

■マイコン部が中学校にあるのは当時とても珍しいですね。
はい。もの珍しさから、生徒たちにとても人気があり、部員の人数を制限するために中学1年生には入部が許されていませんでした。制限されると余計に入りたくなるもので、2年生になったら絶対入ってやろうって思いましたね。
で、2年生になって無事入部を果たし、最初のオリエンテーションで 、Basic言語というものを使ってコンピュータを動かすらしい、ということが分かったので、さっそく本屋に行って Basic の入門書を買ってきました。大阪で一番大きい本屋に行ったのですが、Basic 関係の本はこれ一冊だけだったと記憶しています。帰宅して一気に読み終えたときには、将来はコンピュータ関連の仕事に就こうと強く思っていました。

■え、もう仕事にすると決めてしまうのですか。
もう30年近くも前の話なのであまり覚えていないのですが、とにかく強く興味を引かれました。
コンピュータ関連の仕事に就こうというよりは、プログラミングを仕事にできたらいいなという思いですね。当時はコンピュータに関する職業、例えばプログラマという職業も、まだ無かったのではないかと思います。

■コンピュータに強い将来性を感じたとか、とにかくおもしろかったとか。
おもしろいというより、プログラムを書きたいという衝動に近い感情ですね。将来性も何も、当時のコンピュータは日本語入力さえできないわけで、将来性以前に何かの役に立つというイメージすら、あまり持てませんでした。もちろん自分の家にはコンピュータなぞありませんから、Basic の入門書を読み終えた後は、プログラムをひたすら紙のノートに書いていました。
マイコン部は30人以上の部員が属していましたが、コンピュータはたったの3台。だからコンピュータが使えるのは、2週間に1度、20分程度しかありません。それも1人で独占ではなく、2人ペアで使用です。この貴重な時間を最大限に活用すべく、ノートに書いておいたプログラムをひたすら打ち込みました。

■当時はどういうプログラムを作っていたのでしょうか。
主にゲームですね。プログラムをするのに、特に目的があるわけでもなく、ましてネットワークがあるわけでもなく、ただ画面に何かが表示されるのを楽しんでいました。

■中学時代は、ゲームのプログラムを紙ノートに書いてひたすら入力ですか。
初めはそうですね。何本もプログラムを紙に書いたのですが、コンピュータが使える時間が極めて限られていましたから、結局のところ1年かけて完成できたのは、1本だけでした。
中学3年生になって、だんだんBasicでゲームを作るほかに、もっと下のレベルでプログラミングができるということがわかってきて、機械語と呼ばれていた言語に興味を持つようになりました。

■そこまで突き動かされる衝動は何に起因するのでしょうか。
とにかく好きで仕方ありませんでした。何がしたいとか、何ができるか、ということではなくて。

■仙石さんのブログを拝見していても、その文章から技術に対する深い愛情を感じます。
愛情は高まってきたというよりは、なぜか初めから好きだったんですよ。答えになってないですよね。


学生時代に実践と理論の両方を学ぶ



■高校進学後はいかがですか。
高校生になって、自分のコンピュータを買ってもらい、その後は高校に文化部がなかったこともあって自宅でやっていました。

■機械語に興味を持った後は何に興味を持っていたのでしょう。
高校入学後、興味を持ったのは、ハードウェアですね。当時は、キャリーラボという会社が作った BASE-80というアセンブラがありまして、それを使ってハードウェアを制御するプログラムなどを書いているうちに、ハードウェアに興味が移りました。

■機械語からハードウェアですか。
当時は、コンピュータ雑誌にパソコンの回路図が出ていて、それを理解できるようになりたいと思うようになり、電子工作の本などを読んで勉強しました。
そしてパソコンの回路図がだいたい理解できるようになると、こちらの線を切って、自作の回路につなげればパソコンの機能を拡張できそうとか、そういうことに熱中するようになりました。
ハードウェアを作れば、それをコントロールするプログラムを書く必要が、出てきますのでアセンブラ (BASE-80) でプログラムを書きます。思い出してみると、今のコンピュータの楽しみ方とは随分違いますよね。

■今のコンピュータ雑誌で回路図は見ませんね。
今のコンピュータはあまりにも複雑化して、素人が読めるような電子回路じゃないですから無理でしょうね。デジタル回路の いろは しか知らない当時の私が回路図を読めたということは、当時のコンピュータは素人にも攻略可能なくらい簡単だったということでしょう。今から思うとラッキーな時代でした。

■そういったご経験を通じて、大学では情報工学を学ばれるのですね。
いや、それが大学1, 2回生の頃は、専攻授業がありません。その間に、改造だけではなく、一からコンピュータを作りたくなりました。作ると言っても、今の自作 PC みたいに、マザーボード等を買ってきて部品を組み立てるだけではないですよ。CPUを買ってきて、TTL IC を買ってきて、半田付けして、ということです。雑誌に載っていた回路図を理解したことで作り方はだいたい分かってましたので、無事ちゃんと動くコンピュータが完成しました。
ハードウェアが完成すると今度はソフトウェアを動かしたくなります。当時は CP/MというOSがありまして、CP/Mを自作のコンピュータで動かすべく、まず中古のフロッピーディスクドライブを買ってきて、自作のコンピュータからコントロールできるようにしました。これでようやくプログラムをフロッピーに保存できるようになりました。それまでプログラムはいちいち ROM に書き込んで実行していたんですよ。
次に必要なのが BIOS です。ハードウェアとOSをつなぐソフトウェアですね。これを BASE-80 で書きました。フロッピーディスクドライブが、ガガっと音を立てて自作コンピュータ上で初めて CP/M が動いた感動は、今でも忘れられません。

■当時は、ハードウェアからコンピュータに入った方は多かったのでしょうか。
当時は多かったと思いますよ。私よりちょっと前の世代は、コンピュータが高嶺の花だったので、
お金持ちとかでなければ自作せざるを得なかったという時代です。
さすがに私の世代は8bit機なら20万円くらいあれば買えましたが、それでも、一から作ってみる人はいましたね。結果的にこのことが、ハードウェアからソフトウェアまで切れ目なく学ぶ機会になったのかなと思います。

■その後はどうされていたのでしょうか。
大学2回生からは、大阪にあったダイナウェアという会社でアルバイトに励みました。ダイナウィンドウという、NECのPC98上で動く、当時としては珍しいウィンドウシステムを作っていた会社です。

■ウィンドウシステムの開発ですか。
みんなは PC98用のソフトウェアを作っていたのですが、私は当時としては珍しい、MachintoshII用のソフトウェアを開発していました。結局かなり熱中して、その後大学院を卒業するまで、そのアルバイトを続けました。

■MachintoshII用のソフトウェアですか。
当時のMachintoshII は日本語入力の機能が貧弱でした。そこで、PC98で人気の高かった日本語入力のフロントエンド VJE-βを、MachintoshII に移植しようとしたのです。その後発売されることになったMacVJEという製品のプログラムは、大半を私が書きました。

■学生が作ったものを製品化するということは当時一般的だったのでしょうか。
わりと普通だったと思いますね。この会社は大阪の会社で、阪大生のアルバイトも多かったですよ。技術に詳しい知人も増え、アルバイト先ではかなり密度の濃い時間をすごしました。

■3回生からは専攻授業が始まりますね。実践先行で、理論を学んでみていかがでしたか。
そこまでは独学というより、力任せでした。考えて、やってみて、ものにするというステップの繰り返しで、基本もないまま体力でカバーしてきた状態でしたね。だから専攻授業で、きちんとした教科書を読んですごく感動したのを覚えています。

■感動ですか。
「これはこういう風に考えたら簡単だったのか、なるほど」とか、「こんな良い方法があったのか」とか。それまでは、とにかく我流だったので、すごく時間がかかっていました。先ほどお話したコンピュータの自作も、実は設計に数ヶ月かかっているんですよ。それが授業で学んだ方法でやるとほんの何時間かで出来るわけです。これはすごいと思いました。

次回は12月25日にup予定
第13回(2)「はじめての就職とKLabとの出会い」

KLab株式会社についてもっと知りたい!

 仙石浩明CTOの日記

 KLab技術者サイト lab.klab.org 
 
KLab株式会社が開発したソフトウェアノウハウ、実験的なサービスを公開

 

 

投稿日時 : 2007.12.18 09:21

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