TOP > スペシャルコンテンツ > CTOインタビュー > news2u平田氏 > 第11回(2)news2u平田氏「投資会社での経験とブログとの出会い」
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2007.10.11
CTOインタビュー第11回(2)は、株式会社ニューズ・ツー・ユー取締役の平田大治氏が、ネオテニー在職中にブログサービスを展開する米Six Apart社に出会うまでを伺います。あわせて、ベンチャーキャピタルの投資業務、勘所についてもお聞きしました。

■会社になってどうでしたか。
投資部門の仕事のため、様々なスペシャリストが会社にやってきました。渡辺千賀さんとかもそうですね。世の中にはいろんなすごい人がいるなあと思いました。
■具体的にはどんな仕事をされていたのですか。
2000年1月から会社としての投資活動が始まりました。伊藤さんは海外でのインターネット業界での経験も豊富な人でさまざまな仕事がありましたが、ネテテニーはインターネットビジネスに特化したインキュベーターとして活動していましたので、僕の担当としては技術会社の技術評価や目利きのような案件が多かったですね。僕も投資実務は初めてだったので、はじめは、伊藤さんなど判断した後の投資プロセスの手伝いや投資後のフォローアップ、あと、ネオテニー自体もベンチャー企業でしたので、ネオテニーという会社自体の立ち上げの仕事もしていました。
■投資実務ってどういうものですか。
流れを説明すると、投資対象となる企業の方と、先方もしくはこちらからコンタクトして、まずお会いします。そして、その会社についていろいろ調べていきます。例えば、事業の将来性、軸となる事業が何で成り立っているのか、成り立っている鍵となっているのは、技術なのか人なのか、それともビジネスモデルなのか等。会社というのは、いろいろな要素が絡み合ってできているので、その要素を洗い出していきます。そういった投資対象の分析や調査を「デュージェリデンス」と言います。その結果を、評価レポートとしてまとめ、ネオテニーの投資委員会にかけます。投資委員会は、投資するか否かの決定権を持っています。その後は、投資が決まれば、投資契約書を作成して、契約書に基づいて投資を実行します。ここまでが投資です。
■投資後はどうされるのですか。
その後ですが、投資の成功が訪れるのは、投資を回収した時ですから、投資が成功するように、その会社の事業がうまくいくようにお手伝いをします。当時のネオテニーはインキュベーターと名乗っていましたので、様々なお手伝いができる体制を整えていました。例えば、オフィススペースの貸し出し、経営、技術的なコンサル、バックオフィス部門もありましたし、ほかにも出来そうなことは何でもやっていました。
■相談というとどんなことでしょうか。
例えば、必要な人材、取締役をご紹介したり、営業のお手伝いなどもしました。もちろん、できないこともありますので、ご要望いただいてもお手伝いできないこともありましたけどね。
■ネオテニー自体の会社組織作りもされていたということでしたが。
会社ができてから、1年たたない間に、最盛期は40人くらいの組織になりました。
■その中でどういったことをされていたのでしょうか。
ネオテニーの技術部門の立ち上げを手伝ったり、採用を手伝ったりしていましたね。もともと有限会社の頃からいたメンバーは少なく、結局、僕は最初から最後までいたメンバーの一人となりました。
■前職とは会社の体制もやったこともまったく違いますね。どんなことを感じましたか。
前職、前の会社と共通点を探すほうが難しいですね。ただ、僕自身としては、過ごしやすいと感じていました。もともと大企業で働くのが性に合ってなかったのかもしれません。
■一番面白かったことを教えてください。
一番というより、毎日ドキドキしていました。投資業務においては、同じことをするということはほとんどありません。同じプロセスに乗せても、投資先が置かれている状況もやっている事業も異なるので、効果が違ってきます。理屈は同じでも、実際にやることは違うわけです。なおかつ、日本の場合は、アメリカなんかと比べて、何回も起業して失敗して、今回再チャレンジですという方は少ないですよね。皆さん、ほとんどが1回目です。そして、僕たちも1回目。ドキドキですよ。
■当時、IT投資の世情はどうでしたか。
1990年代後半は、IT投資はアメリカではポピュラーな分野でしたが、日本ではまだマーケットは大きくはありませんでした。特に苦労したのは、2000年4月に、アメリカでの株価暴落で始まった、ネットバブル崩壊の時期です。ネオテニーの投資先も大変な状況になりました。
■会社ができて1年しないうちですね。
はい。大変でした。結果、その時期は投資をほとんどしない状況でじっと耐えました。日本へアメリカの影響が出たのは、実際は2000年の秋から2001年にかけてで、その頃は、極端に投資を絞り込みました。
■厳しい時代ですね
はい。その後も厳しい状況が2002年、2003年と続きます。と、そんな頃、僕はネオテニーのウェブサイトの管理の仕事も手伝っていて...。
■何でもなさるのですね。
はい。で、伊藤さんのページの更新が大変だという話になっていたんですが、伊藤さんが友人からMovable Typeというソフトがおもしろいぞと、紹介されたのです。これが2002年6月の話です。
■急にブログの話になりましたね。そんなところからですか。
話を聞いて思ったのは、ブログ、当時はウェブログといっていましたが、まあ言葉や概念はわかるけど、これのどこが役に立つのだろうということです。でも伊藤さんが、「とにかくだまれたと思って入れてみろ」と言うので、使ってみたら案外面白くて。結局、会社のメンバー何人かで一斉導入して、自分でも使い始めました。ところが使い始めたら、これが面白いんですが、アメリカのソフトなので日本語が通らなくて、その方法をWeb上で探しても、「インストールしたけど、やめました!」なんてコメントも多くて、仕方がない、自分で日本語化しようと思い立ちます。そのノウハウをブログに書いたところ、興味がある人が集まりだして、使い始めていきました。
■「ブログがあたる」と思ったのはどのあたりですか。
インターネットの掲示板が、ブログによって会話のツールになるということで、新しいコミュニケーションが発生するという考えです。もうひとつは、CMSとしてのブログの可能性で、Webの更新ツールとして、ブログツールがもっと使われるかもしれないなと感じました。しかも、ブログの後ろ側には、Webサービスや、XMLシンジゲーションの世界があります。これらの両方組み合わさっているということは、面白いことが起きる予感がしました。でも、その時点では理屈では面白そうでしたが、これがお金になるかというと、そこはまだ見えていなくて、面白いけど、ビジネスにする方法を考えないといけないなというのが、2002年後半での僕の評価でした。
■その後はどうされるのでしょうか。
引き続き、まだよくわからないので、ブログツールをかたっぱしから日本語化して評価しました。ちょうどその頃、伊藤さんもブログの可能性の話を、僕とは別の角度から意識していて、2002年の末頃には、ブログビジネスはリスクは高いけど、大きな将来性があるということで、ハイリスクハイリターン型の投資として、ブログ関連ビジネスに投資を集中することが、会社の経営方針として決まりました。
■いきなり大きな判断ですね。
米国でも当時のブログはまだユーザーも少ないですし、ブログという言葉もあまり知られてなかったですし、ある意味では無茶な判断だったとは思いますね。残りのお金は、全部ブログビジネスに投資しようということですから。
■その後、Six Apart社に投資することに決まるまではいかがですか。
まずはいろいろな会社を調べようということで、アメリカのブログサービスをやっている会社をほとんど全部あたりました。最終的には、Movable Typeをつくった作者のふたりが一番面白そうだということで、Six Apart社に投資することになりました。これが2003年4月です。
次回10月18日up予定
第11回(3)「日本にブログサービスを普及させる日々」
株式会社ニューズ・ツー・ユーの展開するサービス
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投稿日時 : 2007.10.11 09:15
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