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CTOインタビュー

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第10回(1)カカクコム安田氏「エキサイティングだったインターネット業界黎明期」

2007.08.13

記念すべき第10回のインタビューを飾るのは、前回のフォートラベルCTO山路氏からのご紹介で、親会社の株式会社カカクコムの安田幹広氏にお話しをお伺いします。月間4億ページビュー(2007年5月時)を誇る国内最大手のインターネット比較検索サイト価格.comを仕切っている責任者はどんな経験をし、そして今何を思うのでしょう。

 カカクコムCTO安田氏の略歴
  1996年 (株)インターナショナルシステムリサーチ入社
  1998年 日本ネットスケープ・コミュニケーションズ(株)入社
  1999年 (株)デジタルガレージ入社
  2004年 (株)カカクコムCTO就任 (2007年8月21日付 COO就任)

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1990年代にインターネット業界にいられたのはラッキー

■安田さんは、海外の大学でコンピュータサイエンス学科を卒業されてるんですね。その経緯から教えてください。
昔からコンピュータが好きでした。家に親の購入したパソコンがあって、そのパソコンでロールプレイングゲームなどのゲームをやっていたんですね。小学生の頃は多少は自分でもプログラミングもやってみた程度でしたが、中高生の頃に、知り合いにC言語ができる人がいて、その人に教えてもらううちに、「コンピュータって奥が深いな」と感じるようにになりました。特に関心があったのはソフトウェアです。ソフトウェアをいろいろ作ることが楽しくなってきて、コンピュータ自体への興味も膨らんでいきました。

■初めからインターネット業界で働きたいと思ってたんですか。
いいえ。僕が仕事を考えるようになった頃はまだ、インターネットはまだ普及していませんでした。だからコンピュータ関係の仕事をやろうというイメージはありましたが、インターネット関連とは思っていなかったですね。

■どのような経緯でインターネット業界へ導かれるのでしょうか。
ネットワークに興味を持つようになるのは1990年代前半で、WindowsNT(Microsoft社)や、Netware(Novell社)などのサーバOSが使われるようになり、これらの製品が扱えると就職条件も良かったのでネットワークのエンジニアになろうかなと思ったのがきっかけです。当時はコンピュータ同士が繋がって、ファイルやプリンタを共有するといったことが中心でしたが、その概念が面白いと感じていました。
印象深い出来事としては、コンピュータの展示会で、メールの送受信のデモンストレーションを初めて見たことでしょうか。スティーブ・ジョブスがアップルコンピュータを一度辞めた時に作ったNeXTコンピュータと言う会社の製品の展示を見たんですが、パソコン数台が並べてあって、こちらのパソコンから、あちらのパソコンにメールをおくると、画面上で音がして絵が点滅して、メールが届くというものでした。その頃僕はまだ、E-mailをあまりよく理解をしていなかったので、そのユーザーインターフェースも衝撃的でしたし、コンピュータ同士が通信するとこんなことができるのかと感じましたね。
そのような機能がNetware(Novell社)にも追加されて、その後もっと広い意味でのネットワークである、「インターネット」と言うものが出てきて、「インターネット」とは、当時の僕が勉強していた「NetwareやWindowsNTなどで構成された個々のネットワークがつながったインターネットワーク」だと考えるようになりました。そして、インターネットの持つ計り知れない可能性や面白さは計り知れないものと感じるようになり、より強く「インターネット」に興味を持つようになりました。

■歴史を感じるエピソードですね。
そうですね。

■初めはコンピュータ自体に興味があってってことでしたけど、その仕組みに興味があったんですか。
いや、当時はそこまで考えていなかったですね。ただ、自分が考えたことが形になっていくというか、投影されると言うのがすごく面白いなと思っていたんです。

■考えたとおりのことが作れるって事ですか。
そうですね。あとはいろんな難しい問題などでも、解いていくことでソフトウェアはできあがるという過程がおもしろかったんですね。
それから、新しい技術が、次から次へと出てきたという点も大きいです。1990年代は、ともかく技術に関する話題に事欠かない時代でした。例えば、UNIXのWindowSystemはMotifがいいのか、OpenWindowがいいのかとか。1990年代にこの業界にいることができたのはすごくラッキーだったと思いますね。今よりももっとエキサイティングでした。とにかく業界の新しい標準や、技術が進行形で作られていった時代で、今この業界にあるものの基盤となる技術は、1990年代に使われるようになったものがほとんどです。

■インターネットというインフラ自体が作られていく最中にいたということですね。
そうですね。とにかく無数のテーマがあって、エキサイティングだった。そうした動きがおもしろいなと思って追いかけていたら、いつのまにかインターネット業界にいたという感じですね。実は出発点は良く覚えてないんです。

■興味を追いかけていたら、自然とインターネット業界に導かれたということですね。
はい。僕は興味がないものに対しては全く食指が伸びないんですよ。だから興味があったから今ここにいるということですね。

■ちなみに子供の頃は何になりたかったんですか。
小さい頃はパイロットになりたかったです。ところが目が悪くなって諦めて。その他には、小さいころ手塚治虫さんの漫画が好きで、「ブラックジャック」を読んで、医者は素晴らしい!なんてことも考えていましたね。でも、最終的にはコンピュータ系がいいかなという選択になりました。

 

 ソフトウェアを体系的に学びたくなり技術の本場へ

■コンピュータサイエンスを勉強するために、なぜ海外の大学を選ばれたんでしょう。
ソフトウェアを体系的に勉強してみたいという動機からです。英語にも興味がありました。コンピュータを仕事にするには、英語ができないとだめだなと言う考えがありました。

■ほとんどのコンピュータ技術が海外から来ていたので、その元を作っている本場で勉強したいという気持ちですか。
当時はコンピュータに関する書物は翻訳本ばかりで、日本からでているコンピュータの本はほとんど無いという状況でした。だから本場のほうがいいというのは確かにあります。でもあんまり深く考えていなかったですね。

■海外留学は、自然と選択肢のひとつになっていったということでしょうか。
そうですね。

■特に大学で専攻されていたのはどの分野ですか
ソフトウェアのアルゴリズムやプログラミングですね。

■海外に行ってみて、カルチャーショックみたいなことってありましたか。
海外に行って困ったことは、どんな時も自分を表現しないといけないということでした。例えばサンドイッチ屋さんに行っても、具に何を入れるかを全部自分で決めないといけない。授業でも何でも意見を言わないといけない場が多い。とにかく何もかも自分で考えて、言って、行動しなければいけないということが、まずカルチャーショックでしたね。
それから会話の中でちょっと一言冗談で返すというか、軽い皮肉をいう文化っていうのになかなか慣れませんでしたね。これは日本にはない文化だなと感じました。

■ちょっとしたひとことが早いんですよね。
確かに早いですよね。ちょっとした返しが早いんです。当初は、自分がほんとに馬鹿にされているのか、ただの冗談なのかわからない状況がしばらく続きましたね。

■海外で学ばれたことはその後のご自身の選択につながっていきましたか。
最新の技術を本場で学んだことで、新しい技術を貪欲に学び身に付け、仕事に生かすことで、意識的に自分の優位性を作るということが僕の20代のテーマになりました。他の人がまだ勉強していないものや、習得していないものをより早く身につけることは、自分の市場価値を高めることになると思っていました。だからインターネットに関してはかなり勉強したという自負があります。

次回第10回(2)「インターネットの新しい技術や標準が生まれた時代」
8月17日up予定


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投稿日時 : 2007.08.13 09:30

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