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CTOインタビュー

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第10回(2)カカクコム安田氏「インターネットの新しい技術や標準が生まれた時代」

2007.08.20

インターネット業界黎明期の中でインターネットを仕事にすることを決めたカカクコムの安田氏。海外の大学を卒業し勤めた会社はなんとマンション企業。その後、新しい技術が次々と生まれた花形企業への転職。引き続きインターネット業界がもっともエキサイティングだった頃のお話をお伺いします。

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ベンチャー企業でイリノイ大学発の技術を日本で売る

■その後就職されるんですね。
初めはソフトウェアを作るような仕事をアルバイトでやったりしていました。初めての就職は、株)インターナショナルシステムリサーチという会社です。日本の会社なのですが、米ネットスケープの開発するウェブブラウザの前身となったMosaicを作っていたチームのうち、ネットスケープ社にいかずにイリノイ大学に残ったメンバーのひとが作ったミドルウェアを製品化して売っている会社でした。この製品は、データベースとWebページを連携させて、動的ページを生成するフレームワークのようなものです。その頃のベンチャーは、やる気さえあれば採用の敷居も低い時代だったので運よく採用されたんですね。そこに入社して、とにかくインターネットの技術を勉強しました。

■なんだかエキサイティングなベンチャー企業ですね。
そうなんです、僕が入ったときは、マンションの一室でやってたんですよ。

■マンション企業ですか。
そうです。マンションの一室にエンジニアひとりふたりと事務の女性の方と仕事をしていました。僕はとにかくインターネット関連に就職しようと思っていて、何かをやりたいと思ったらまずはどこか会社に入らないといけないと思っていたんですね。自分で選ぶというよりは、入れてもらえるところに入るという状態でした。どうやってその会社を見つけたかの経緯は忘れてしまいましたが、どこかで見て、インターネット経由で「仕事をしたい」と申し込んだところ「会ってやろう」ということになり、就職が決まりました。

■意外と正攻法ですね。
運がよかったっていうのもあると思います。失礼にあたるかもしれませんが、当時の僕には、求職雑誌に掲載されていたメーカー系とかSierでの仕事は魅力的に見えなかったんです。インフラがやりたかったわけでもないですし。とにかくインターネット関連の仕事に就きたいと考えていました。

■先ほどマンション企業だったと言う話でしたが会社規模はどれくらいですか。
日本人が5.6人で外国人が1.2人で全部で10人もいなかったですね。

■日本の会社なんですよね。
はい。製品の元となるコア部分は、イリノイ大学の学生である開発者が作っていて、この開発者と、この会社の社長が意気投合し、日本での製品化と販売をこの会社でやることになったそうです。

■入社は開発担当としてですか。
開発担当です。ある程度インターネットの技術が学べたところで、半分営業みたいなこともやりました。

■開発者兼営業ですか
そうですね。当時はWebとDBをつなげるフレームワークとかアプリケーションサーバーといったものもなくて、やっとColdFusion(Allaire社:当時)のようなものが世の中に出てきた頃でした。なので、競合製品もないけど市場もないという状態からのスタートでしたので非常に苦労しましたね。

■営業は大変でしたか。
売るのも大変でしたし、何でも屋みたいな仕事もしていて、なぜかイリノイまでレーザープリンタ持って行ったり、Sun Microsystems社のSPARCstationを運んで持っていったりしてました。もうこんなことは出来ないと思います。今だったら、空港でこれ何ですか、って聞かれますね。

■当時の苦労というと営業ですか。
営業ははじめてでしたからね。飛び込みでとにかくいろんなとこへ行きました。

■営業先はメーカーさんとかですか
いいえ、メーカーさんだけじゃなくて、当時は、WEB事業をスタートされてた会社さんも増えてきていたので、そういう会社に行きました。普通のホームページ作るのではなくて、DBを絡めてやりたい、という会社は結構あったので、そういうニーズに対して、「当社の製品を使えば、プログラミング無しで簡単に作れます」と説明していました。

■当時としては画期的な製品ですよね。動的ページ生成ができるというのは。
売れた時はすごく嬉しかったですよ。営業は見よう見真似でやってましたね。

■見よう見真似ですか。
会社に、日本人で、すごい技術者の方がいて、たしか僕より10歳くらい年上だったと思いますが、その人は僕にインターネットの技術を教えてくれた師匠なんです。もちろん、僕より社会経験があるので、技術だけではなく、営業とはこういうものだということもその方に教わりました。

■技術にもビジネス的にも1:1で教えてもらったわけですね。
そうですね。

■その方は師匠だとおっしゃってましたが、その方から得たものは大きいですか。
そうですね。その方がいらっしゃらなかったら、僕はインターネットの技術にそこまで興味を持つことはなかったと思います。当時インターネット関連の技術については、資料がものすごく少ない中で、そこまで知っている日本人はほとんどいませんでしたね。相当詳しかったと思います。

 

 毎日、毎週、新しい技術や考え方が発信される職場

■インターネットの技術がわかるっていうのはどういうことでしょう。
インターネットの技術がわかるっていうのは、WEBサーバからきたリクエストをどうやって処理していくかとかですね。技術的な話をすると、各種プロトコルから始まって、HTMLパーサー(テキストから、文章を解析してタグをデータベースの値に置き換えたりする技術)、Javaによるアプリケーション開発など、早いうちから様々な技術に取り組んでいました。

■なるほど。この時代ってインフラというか仕組みから学ばれる時代なんですね。
そうですね。それをやらないとサービスも何もないという時代だったので。

■このあたりの勉強したことを生かして、インターネット自体を作る側に行きたいなというのが日本ネットスケープ・コミュニケーションズ(株に転職された理由ですか。
そうですね。この会社にいた頃から、一流のエンジニアになりたいと思ってたんですが、この会社には、コアなエンジニアがたくさんいたので、逆に、売る人がたりないから売る側をやりなさいということだったんです。
インターナショナルシステムリサーチは、DBとWebサーバ、つまりアプリケーションサーバーに特化していたんですけど、この頃のネットスケープでは、もっと広い範囲でいろんなものが製品化されはじめていたんです。

■いろんなものというとどういったものですか。
例えば、巨大なメールシステムであったり、BtoBでXMLなんかを使ったEDIといったトランザクション処理の仕組みであるとか、LDAPというディレクトリのサービスだったりとか。そういうインターネット業界のもっと広い意味でのサービスを、新しい技術の視点から見たいなと思うようになっていきました。
なのでネットスケープ社では、ブラウザ関連の事業部ではなくて、サーバ関連の事業部に入社しました。その中のプロフェッショナルサービス部というところで、大型のインターネット関連の仕組みの導入コンサルティングを担当しました。

■ネットスケープ社のサーバ事業部ですか。
サーバとクライアント=ブラウザと言う感じですね。事業としてはサーバのほうがメインで、僕が入社して2ヶ月後、ブラウザは無料にすることが決まり、僕がいる間にネットスケープ社では、2回ほどリストラがありましたね。

■ネットスケープ社がソフトウェアの会社だった頃の話なんですね。
そうですね。結構盛り上がっていたときだったと思います。LDAPプロトコルは、ネットスケープが作った標準ですし、JavaScriptもネットスケープが作った技術です。そういう意味では、毎日、毎週、新しい技術や考え方が、中には考えただけで製品化されなかったものもありますが、アプリケーションサーバーみたいな製品ラインナップも持っていましたし、そういう意味では何でもござれと言う感じで、非常におもしろかったですね。

■サーバ事業部でのお仕事について詳しく教えてください。
SIerと組んで、私が手がけたものは主にメッセージング関連が多かったですね。ISPのメールシステムのリプレースや構築だったり。ネットスケープ社のMessaging ServerというソフトウェアとDirectory Serverのペアで導入するケースがメインでした。それを国内の通信キャリアや、オーストラリアの会社に導入しましたね。

■海外もですか。
ありましたね。アジアパシフィックというくくりだったので、でも海外は1度でしたね。
アメリカからエンジニアを呼んで一緒にやるということもよくありましたね。

■本国アメリカとかからですか。
そうですね。日本でプロフェッショナルサービス部の担当者は僕が入った時点では、当初2名だけでした。そのあとに2倍くらいになったんですよ。

■2名ですか。当時のネットスケープの規模はどれくらいですか。
人数では30人ほどでした。

■ネットスケープでは初めはメンバーとして入って、最後はマネージャーですね。
そうですね。入社して1年弱経った頃からは、日本のプロフェッショナルサービス部の責任者として、数名のチームのバジェットとリソースとプロジェクト管理をみてましたね。

■1年で「まかせるよ!」と言われたわけですね。
日本は結構需要が多くて、売り上げも良かったんですよ。

■この時期のインターネットのインフラ作っていた会社というと。
結構儲かりましたね。

■競合はほとんどないような状態ですか。
いや、後半は競合も多かったですね。あとは、1998年に、ネットスケープ社がAOLに買収され、サーバ事業はサンマイクロシステムズ社との提携が発表されたんですね。当時のサンマイクロシステムズ社にもコンサルティング部隊みたいなところがあって、僕よりずっと年配の人が責任者やっているような部署で、一緒になるまでの間は、まだ予算がそれぞれ割り付けられていて、どの案件はどっちがやると言う話も出はじめました。それでもういいかなと。

■それで転職を決意されるんですね。
そうですね。

 

次回第10回(3)「『技術を売る』から『技術を使ってビジネスをする』への転身」
 8月24日up予定

投稿日時 : 2007.08.20 10:49

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