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CTOインタビュー

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第8回(1)ウノウCTO尾藤氏「僕とLinuxの出会い」

2007.05.28

第8回のCTOインタビューは、「映画生活」や「フォト蔵」など、コンピュータユーザーの「楽しい」をつなげるインターネットサービスを展開している、ウノウ株式会社のCTO尾藤氏にお話しを聞いてきました。第1回は、尾藤氏がコンピュータに足を踏み入れてはまるまでをお送りします。

■こんにちは。パソナテックですがー。

社員さん:「こちらへどうぞ。」

■うわぁ、コタツだ!コタツ!ちょっ。(中略)

P1020253.JPG

高専でLinuxに出会い、コンピュータを志す

■尾藤さんはいつからこの業界にいるんでしょうか。
コンピュータ業界という意味では、大学からですね。それまでは単なるコンピュータオタクでした。

■コンピュータオタク歴はどれくらいですか。小学校の頃からとか・・・。
いや、そこまで長くないです。僕が本格的にLinuxを始めたのが19歳の時です。それからずっとなので、コンピュータ歴はかれこれもう10年ほどになりますね。

■本格的にLinuxををやるというのはどういうことでしょう。
僕は高専出身なんですが、高専の5年間のうち、4年目に学内のコンピュータがインターネットに接続されたんですね。1996年のことです。初めは、インターネットがなんだか全然分からないままとりあえず使い始めたのですが、そのうち「これ面白いな」と思うようになりました。そこで、いろいろ調べていくと、高専の先生が、「インターネットのシステムはUNIXでできてるんだよ」と教えてくれて、うち(高専)のインターネットはLinuxで動いていることを知って、そのままLinuxのインストールCDを借りてきてインストールしたというのがLinuxとの出会いでした。

■高専での専攻はコンピュータじゃないんですね。
はい。電子回路です。もともと理系で、多少はコンピュータやプログラミングも学んでいたんですが、あくまで授業の範囲でしかなくて。Linuxをいじり始めてから、コンピュータやプログラミングへの興味は本格化しました。

■当時のLinuxの環境っていうのは、まだ使う人も少なかったんじゃないですか。
そうですね。僕にすごく影響を与えた方がいて、真鍋敬士さんという方です。当時Linuxを日本語環境で使うのには個別の日本語化されたソフトウェアをひとつひとつインストールする必要があって、苦労も多かったんですが、真鍋さんは、日本語化したソフトウェアをJE(Japanease Extension)としてまとめて配布していました。この真鍋さんが僕と同じ高専出身だったんですね。それを知って、「うちの学校出身者にもこんなすごい人がいるんだ。じゃ、僕にもなんかできるんじゃないかな」とそんな単純な動機でさらにLinuxにはまります。僕って単純なんですよ。

そのままディストリビューション開発の道へ

■最終的にはそのまま大学院まで行くんですね。
高専を卒業すると、大学の3年に編入できるんですよ。どうしてもコンピュータサイエンスを本格的に勉強したくなって、広島市立大学情報科学部情報工学科に入学して、そのまま院までいました。大学在学中に、Vine Linuxと言うディストリビューションのSPARC版の開発に関わりました。

■Linuxのディストリビューション開発に携わってみていかがでしたか。
ディストリビューションを作っていると、Linuxのいろんなところの知識が要るんですよ。だから全体的にどういう仕組みになって、何がどう動いているかは分かるようになりましたね。

■何がどう動いているかがわかるというのはどういうことでしょう。
カーネル内部のひとつひとつの構造とまではいかないですが、ユーザー領域で動くプログラムは何がどうやって動いているかなどは分かるようになりましたね。

■ずばり開発者にとって、OSを作る醍醐味って何ですか。
なんだろう。それは単に僕がすごくLinuxが好きってことに尽きるんで。

■Linuxがすごく好きだなって思う瞬間てどんな時ですか。
Linuxというより、UNIXの哲学で、「シンプリシティ」っていうのがあります。簡単に言うと、単純なものを組み合わせて、実は複雑なことをやるという意味です。、その哲学を、OS作っているとその意味を体感する瞬間があります。あとは、中身が全部分かることも大きな特徴ですね。例えば、こういうものを知りたいと思ったときに、Linuxであればソースコードも全部公開されているし、その中身を見て仕組みを理解することが出来るということが、すごくおもしろいです。そういうのは、Wndowsとかにはない楽しみっていうか。

■高専にいた頃から、Linuxユーザーとのコミュニティ活動はされていたんですか。
高専にいたときは、普通にLinuxのメーリングリストに参加して、来るメール読んだり、書いたりしていました。大学はいってからは、地元のコミュニティとか、Vine Linuxの活動がメインです。

■尾藤さん、地元はどちらなんですか。
僕の地元は愛媛。愛媛にはさすがに地元のコミュニティはなかったですね。愛媛にいた時は、ずっとひとりでやってたという感じですね。

■大学に行ったら、Linuxユーザーはいっぱいいましたか。
いっぱいって程はいませんでしたけど、ちょっとはいましたね。

■地元にコミュニティがあるのとないのでは違いますか。
それは全然違うと思います。自分のオタクさ加減を理解してくれる人がいるっていうのは、やっぱり楽しいですよね。

■これ知ってるとか、この辺がいいんだよねとかそういった会話をしたり。
そうそう。類友の法則ですよ。

■面白いと思っていることを共有したり、もっとおもしろいことを思いついたりするわけですか。
そうですね。それはありますね。群集の心理ですよ。日本人は群れるのが好きなんで。

■自分も日本人のひとりであったということですね。
ひとりであったと。

■その後大学院を卒業まで、Vine Linuxのディストリビューション開発を手伝われるんですね。
そうです。

■好きで使い倒すのと、製品版を作るというのは、違いますか。
やはり違いますね。当時のVine Linuxのコミュニティには開発者が何人もいて、お互いコミュニケーションをとりながら一緒に作っていくということや、さらに作ったものがたくさんの人に使ってもらえるということは、「使う」側とは違う点ですね。自分にとっては、はっきり言って、開発に加わることで一銭もお金にはならないんですけど、代わりに自分の知識が増えて、世の中に影響を与えることが出来るわけです。

■世の中に影響を与えられるという点ですか。
それは大きいですね。ここから得られる充実感っていうのは、「まさにプライスレス!」ですよ。支払いはマスターカードで。(笑)

■作る側にまわると、品質に対する要求事項なんかも全然違いますか。
あ、それは大分変わってきましたね。Linuxの世界では、ディストリビューションはたくさんあるのでなかなか差別化するのは難しいんです。Vine Linuxでは、代表を務めておられる鈴木大介さんという方が、当初からポリシーとして、「安定したソフトウェアを提供する」、「CD1枚で収まるサイズにする」といったことをおっしゃっていて。その辺のこだわりが、なんかすごくいいなと思ってました。

■そういった考え方にエンジニアとして共感していたんですね。
そうですね。かなり共感しましたね。

 Linuxをやりたくて雑誌に出ていた会社に就職

■2000年にHDE(旧ホライズン・デジタル・エンタープライズ)就職ですね
就職して、それで東京砂漠にやってきました。

■この会社に入社を決めたきっかけをお聞きしてもいいですか。
とにかく僕はLinuxが好きで、Linuxで仕事がしたいと強く考えていました。当時、Linuxを前面に出してビジネスをしている会社はあまりなかったんですね。あとは大企業には行きたくなくて、ベンチャーに行きたいと漠然と思ってました。

■ベンチャーに行きたい理由っていうのは何でしょう。
いや、なんか大企業に入社したら、組織の歯車として働くみたいなイメージがあって。でも、僕は性格が自由奔放なので、自分がやりたいと思ったことをやらないと気がすまないんですよ。だから大企業よりベンチャーがいいかなと。元々僕は地方にいたので、Linuxに確実に関われて、しかもベンチャー企業って、どんな会社があるのか全然知らなかったんですよ。で、Linuxユーザーが見るような雑誌を見ていたら、HDEの名前が出てたんです。すぐに応募して、採用されたのでそのまま上京しました。

■Linuxを背負って上京したんですね。
そこでは、HDE Controllerっていう、Linuxなどサーバの各種設定をWeb上で行える製品があるんですが、その開発に携わってました。

■製品自体はもう販売されていたんですよね。
そうですね。なので、モジュール作ったり、機能追加したりですね。そこではじめてPHPという技術を使い始めました。

■パッケージ製品の開発でPHPを学んだんですね。
はいそうですね。WebならPHPだろうということで。PHPは簡単なんですぐ覚えましたね。

■何人くらいで開発されてたんですか。
6、7人にマネージャが1名の体制ですね。マーケティングと営業は別に仕事していて、「作る」に特化したチームでした。

■この仕事は思った以上におもしろかったですか。
なかなか楽しかったです。

■楽しかったポイントはどんなところですか。
一緒に作っていたエンジニアに優秀な人が多かったので。

■東京にはこんなエンジニアもいるんだとカルチャーショックですか。
大学時代はLinuxについていろいろ活動はしてたんですが、基本的に自分がLinux好きだからやっているんだけで、周りの人も使っているわけではないんです。HDEに入社したら、さすがに全員Llinuxを使っているんで、やっぱり持っている情報の量や幅は違いましたね。



次回は6月4日更新予定
次回第2回「やりたいことを追いかけてシリコンバレー」をお送りします。
お楽しみに。


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投稿日時 : 2007.05.28 18:25

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