楽譜/算譜
2008.05.10
ずいぶん前(80年代くらい?)に読んだ話なので、登場人物が間違ってたらごめんなさい!
芥川也寸志は著名な作曲家・指揮者なのだけども、レコードプレーヤーというものを買ったことがありませんでした。どうしてもレコードを聴かなければならない時には、亡父遺愛の竹針蓄音機で聴いていましたが、とある業界関係者に最新のステレオセットをプレゼントされて.....
まあ勿論、作曲家ですから「音楽は演奏会で聴くものだ」というのが最初からアタマに入っていて、それで「記録・再現手段に過ぎないレコード」というものを異常に軽視した...という事情がこのエピソードにはあるわけで、感想としては、
なんて貴族的な.....
というところでしょうか(ちなみに「亡父」というのは芥川龍之介ですね!)。音楽はライブに行かないと、ホントのところはわからない....というのはポピュラー音楽でも実はあまり差はないようには感じないでもないですが、しかし「音楽メディア」という面で考えて見たときに、もう一つ「音楽を伝達するための重要なメディア」があるわけです。もちろんそれは、
楽譜
です。芥川也寸志は作曲家・指揮者ですから、当然自由自在に楽譜を読みこなし、楽譜から「演奏された音楽」をイメージをできてしまうわけです。この「アタマの中で鳴りひびく音楽」の美とリアリティが、「他人の音楽」をおおまかにカリカチュアしただけの「レコード音楽」よりも、完璧に勝っていればこそ、レコードプレーヤーを長らくまったく必要としなかった....というような事情があるのでしょう。
私がこの話を憶えていた...というのも、やはりこのようなメディアとのかかわり方、というのに非常に憧れる面があったからだと思います.....
翻って、昔はコンピュータ・プログラムのことを「算譜」と言ってました。古いコンピュータ科学の教科書では大マジメにプログラムを「算譜」と呼んでて時代を感じますが....ようするにコレも楽譜の一種なのかもしれません。とするのならば、
自由自在にプログラムを読みこなし、プログラムから「実行される処理」をイメージできてしまい、この「アタマの中で実行される処理」のスピード・実行効率が、実際のコンピュータでの実行に完璧に勝る....
なんてことが、プログラマのちょっとした理想なのかもしれません。実際こっちも結構憧れますね! 「音楽の出版」がレコードと楽譜の2つの形式を持つように、プログラムの配布もバイナリとソースがある...のかもしれませんよ!
ちなみにあと、楽譜・算譜の仲間としては、楽譜に触発されて作られた「舞踊記譜法」であるラバノーテーションなんていう面白いものがあります。これは「特にダンスジャンルを問わず、人間の体のどんな動きでも譜面として記録できる」という結構スゴイものです。
投稿者 : 杉浦 こずえ | 投稿日時 : 2008.05.10 21:45





