理系な人生...
2008.10.28
今まで何度かとりあげたことがありますが、私結構坂村健教授って尊敬しているんですよね.....で、毎日新聞の日曜日の第2面にエッセーをよく書いていて、それが面白く納得のいくものなので、ちょいと楽しみにしていたりするのです。
で、10/26 に「ノーベル賞の意義」というまあ、時事ネタなのですが、
そりゃ今回日本人(というか、厳格には日本出身者の)のノーベル賞の受賞者が4人も出たのだが、みんな昔の研究成果に対する受賞で、イマの研究でそれに値するものがホントにあるんだろうか???
というちょい斜に構えたご意見が、何か幅を利かしている風潮を見うけますけども、さすがに坂村教授ですから、もう少し当事者的な見地で
なぜ日本の理系は不遇なのか?
という社会の大問題を論じてます。要するにそれはですね、
問題は世界がどんどん米国型になってきていることだ。現代資本主義の中では、個人の生産性はその個人の独立した能力の絶対値ではない。ごく簡単にいえば、その人がコントロールする資本--配下の組織や設備や資金力がその人の生産性だ。(中略)その評価基準で言う以上、管理側にならない限り給料は個人の能力の範囲を超えない。そして一般に理系の業務は管理職のキャリアに直結しない。問題は個人の生産性は若いうちにピークを迎えるということだ。
と、正しく社会的な問題(というか、極めて広い意味での「権力構造」、大げさで苦笑ですが...)として、
理系のライフサイクルが、日本の資本主義の意思決定構造とうまくマッチしていない
ことを指摘するわけです。勿論、それに対する補償は、以前の日本とイマのアメリカで対照的でしたが、
- 以前の日本:
- 徹底した年功序列賃金と、相対的な給与格差の小ささによってカバー。管理職でなくても年を取ればそれなりの給与がもらえた。
- イマのアメリカ:
- 職別の給与体系と徹底的な能力給。それと容易な転職によるキャリアアップ。スポーツ選手のように個人が最も能力を発揮する時期に高い賃金が取れる。
と、それなりに「理系が住める社会」なのですが、イマの日本では
そもそも理系が住みやすい社会、ですか?
と問わざるを得ない...でしょ?? まあ今回記事のご紹介まで。
「私の選考のコンピューターサイエンスにはノーベル賞はないのであるが...」(苦笑)まあ、いいさ、そのうちチューリング賞を取る人が出るのでは?と期待しておきましょう(OS設計者もOKですから、坂村健だって可能性がないわけでは....)。授与者のACMは「アメリカ計算機学会」ですが、今まで非米国籍(たぶん)な人も数多く「コンピュータ科学のノーベル賞」であるチューリング賞を受賞しています....ダイクストラ(オランダ)、ホーア他(英)、ヴィルト(スイス)、ナウア(デンマーク)、ダール・ニガード(ノルウェイ・北欧はOOPL)、レディ(インド)、ラビン他(イスラエルは暗号強し!)とかなり国際色豊かですし。アジア系はヤオだけのようですが、まあこれならそのうち日本人の受賞もありなのでは...とも期待はできますね。
投稿者 : 杉浦 こずえ | 投稿日時 : 2008.10.28 12:30
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