性善説と性悪説
2009.02.28
世の中には性善説と性悪説という言葉があります。
個人的には性善説をとことん突き詰めたいと思っていますが、かといって性悪説的に物事を捉えることが悪いこととは思いません。むしろ、世知辛いこの世の中では多くの場合性悪説でいた方がだまされず苦しまず過ごすことができる。また、自分の身の回りの仕事できる人に性悪説な人は多いような感覚さえあります。
しかしながら、性悪説の仕事できる人が性善説に対して牙を剥いたときにそこに生まれるのは終わりなき価値観の齟齬であり、正当性の証明だけに費やされる時間。本質はすでにあるものではなくこれから生まれるものだと考えることへの否定に帰結するのかな、と。そういうの、あんまり嫌だな。
そんな性悪説の仕事できる人が性善説に牙を剥くことが、実は性悪説を貫くことによって性善説側の無駄な薄皮を剥いで本質を導き出すための粋な方法論であったりするとしたら素敵だな、と思う。そんな性悪説のことを「進歩的性悪説」と呼びたい。
投稿者 : 上原 仁 | 投稿日時 : 2009.02.28 19:06





