退屈な世界を変える方法 -「知る」喜び-
2008.10.21
僕はその方法のひとつを見つけました。
それは「知る」ことです。
今までは「知らない」ことにストレスしか感じていませんでした。
「知らない」からできないことがある。
「知らない」から仲間はずれになることがある。
「知らない」から取り残されることがある。
「知らない」から知ることがめんどくさくなることがある。
だけど、もともと僕らには知的好奇心というものが備わっていて、意外な発見をすると「喜び」を感じることができます。
そこをくすぐるように考え方をシフトすると、毎日がとても楽しくなってきます。
わからないことがあった時に、それをよく知っている人に聞くと、その人はきっと喜んで丁寧に教えてくれます。これだけでもその人と仲良くなる機会にもなるし、「あの人は熱心な人だ」というポジティブな評価も得ることができます。まさに一石二鳥ですね。
それだけに留まらず、どんどん聞いたり学んだりして知ることを続けると、直接かかわりのない人の間でも「あの人はあのことに関して詳しい」という噂がかけめぐり、信頼を得ることにもなります。
「知る」ことを続けると、だんだん周りの評判も良くなってきて自分にとって心地よい環境を作ることができます。さらに、そもそも「知る」こと自体「喜び」を得られる行為なので、どんどん気持ちよくなってきます。
『知る喜びのサイクル』
知る喜び
↓
他人と楽しく教え合える/他人から認められる喜び
↓
さらに知ろうとする喜び
上記のサイクルのように、この好循環は止まりません。
しかも、たいていの場合は楽しいことを得るにはなにかを代償とするものですが、「知る」ことに関してはこれだけ気持ちいいことを続けてもそのツケが回ることはありません。それどころか、「知る」ことを突き詰めた先に、その道のスペシャリストとしての称号が待ち構えていて、楽しいことだけ続けているのに人から羨ましがられることになります。なにか特別なことをしているわけでも道理的に正しくないことをしているわけではありません。ただ「知る」ことの喜びに気付けたかどうかという小さな違いだけで、です。
そのように考えると、もう「知ることが面倒だ」なんて思うこともなくなるでしょう。そして、目に映るものすべてに「知りたい」という純粋な欲望が働き、貪欲に気持ちいいがままに「知って」いけばいいのです。そうすると、「なんとなくだるい」なんて言っている暇がないくらい、楽しくなりますよ^^
「知りたいことが溢れるほどあるのに、時間が足りない。
なぜ1日が24時間で1年が365日で一生が100年しかないのだろう。」
そう思えたら、あなたは立派な「知る」喜びを「知った」、幸せものです。
投稿者 : 山本 貴幸 | 投稿日時 : 2008.10.21 20:43
本質的な情報はあまりWEBにない
2008.10.20
気になるあの商品、路線情報、今週の天気、最近の株価。
適当な単語を入力して検索ボタンを押すと、簡単にこれらの情報にたどり着くことができます。
しかし、そうでない場合もあります。
例えば、Javaについて基礎から理解したくてWEB検索をかけるとします。そうすると上位にヒットしてくるのは「Javaの用語定義」だったり「Java入門」だったりします。その中でも一番多いのは「JavaでHello World!」といった類のサイトで、Javaで用いる基本中の基本である構文のリファレンスが無機質に並べられているだけです。
とりあえずJavaを動かしてみて感動してみたいという人に対してはこれで事足りるのですが、さらに理解したいと望む人にとってはミスマッチな情報です。「オブジェクト指向を徹底的に基礎から紹介」「Javaではこういうふうにメモリを使われている」「オブジェクト指向が誕生するまでの歴史と、なぜ今これが主流なのか」といった、Javaの裏側にあるJavaを支える情報が本当に知りたいことなのです。しかし、ここまで踏み込んで丁寧に解説しているWEBサイトにはなかなか出会えません。
となると、どうやって情報にたどり着けばいいかというところで、「本を買う」ということに到達します。大きな本屋さんに行けば入門書から分厚い超専門書まで、同じジャンルでも多種多様な書籍が並んでいます。WEBでは自ら能動的に探し回ってたどり着かなかった情報が、本屋さんには「お前はこれらの莫大な知識の集結を、どれだけ吸収することができるかな」と逆に私たちを挑発するように並んでいます。
本質的な情報はあまりWEBにない。
少し語弊のある言い方ですが、つまりはインターネットと本屋、または図書館などの資源を目的にあった形で利用するのがベストということです。なんでもWEBに転がっているなんて錯覚は、早いうちに取り払いましょう。
投稿者 : 山本 貴幸 | 投稿日時 : 2008.10.20 22:02
僕がWEBに目覚めた理由のひとつ
2008.10.19
高校卒業してから大学に編入学するまでの間に通った、専門学生時代のエピソードです。
当時、介護福祉士を養成する専門学校に通っていました。
深く考えずに足を踏み出した業界だったのですが、現場実習などを通して徐々にその仕事が自分に合わないことを感じてきつつあり、自分の天職を見つけるべく将来を決める猶予期間を確保するために大学に編入することを決意していました。
しかし、専門学校までの学費を親に出してもらっている手前、さらに大学の学費も出して欲しいなんてことも言えず、週7で放課後にみっちりアルバイトを詰め込んでコツコツお金を貯めていました。それでもこの調子だとまだ目標金額に達しないと気付き、新たな収入源を確保するために、ヤフーオークションで個人売買を開始しました。
はじめは家にあったものを次々に出展していて、それが思いのほかどんどん買い手が付いておもしろいほど対価を得ることができました。しかし、そろそろ売るものがなくなってきたので、個人でも商品を卸してくれるルートを見つけて、オークションで販売をし始めました。
ある時、女性用のブーツを販売していていつものように買い手が見つかりました。
落札後に本人からメールが届き、その後入金確認や配送のやりとりを行うのがいつもの流れだったのですが、その落札者から突然「急に支払いができなくなったからキャンセルしてほしい」という旨のメールが届きました。
文面から少し若めの女性からだということは簡単に推測でき、なぜ突然支払いができなくなったのか単純に疑問になったので問い合わせてみました。すると、「自分の使えるお金があってその分をブーツ代にあてたかったけど、治療費にあてる必要がでてきたので買えなくなりました。かわいかったので買えないのが残念です。」といった返信がすぐに返って来ました。
丁寧に書かれた文章からその人の柔らかく親切な人柄が伝わってきて、残念さが自分のところまで伝わってきて同情してしまい、「これも縁なので今回は特別に差し上げます。」と返信しその日のうちに発送しました。
このことにひどく喜んでくれて、その日から商談終了後も文通をする間柄になりました。はじめはなぜメールではなく手紙で届けてくるのかが不思議でしたが、聞くとPCを立ち上げてメールを打ち終えるまでの一連の作業が自分の体に障り体調を崩してしまうから、と丁寧な文字で手紙に記されていました。
彼女の患っていた病名は長い横文字の名前でもう忘れてしまいましたが、つまり極度の対人恐怖症でそれが身体にも影響を及ぼしてしまう病と教えてもらいました。それ故に普段は帽子を被りサングラスをつけて衣類をぐるぐる巻きにしていないと人前に出られないほど重症なものらしいです。
その文通は、専門学生時代から大学編入試験に合格して大学に通うために九州へ転住して少しの間まで続きました。お互いの近況報告や夢や恋愛の話など、本当にいろんな話を封筒がパンパンになるくらいの枚数の手紙に書いて送りあいました。
しかし、次第に返信に要する間隔が広くなり、多くの手紙をやりとりしていた当時の自分はそれが彼女の体調が思わしくないからだということに薄々気付いていました。ある時、ぱたっと返信が途絶えてしまい、書きたくても書けない状況の中一方的に手紙を送りつけることを良く思えなかったので、返事を待ち続けました。
返信が止まってから数ヵ月後、手紙が届きました。
しかし、文字体に少し違和感を感じて差出人を確認したら、姓は同じでしたが名が違いました。なぜ親族から手紙が来たのだろうかと疑問に思いながら封を開けました。
文章に目を通すと、冒頭の部分に彼女が最近亡くなったということが記されていました。その一文に衝撃を受けつつも、その後の文字に目を滑らせました。
買えなかったブーツをただで送ってくれたこと。
さらには、数少ない友達ができたこと。
これらのことに彼女は本当に喜んでいて、深い眠りにつく
直前まで体調が回復せずあなたの手紙に返信ができない
ことを悔やんでいました。
もし自分が回復できずにもう手紙を書くことができなくなって
しまったら、お母さんに代わりに手紙を書いて欲しいとお願い
をされて、この度お手紙を書かせていただきました。
この手紙を読み終えて数日後に、彼女の住んでいた大阪に足を運び今までの思い出に区切りを付けに行きました。
その記憶が自分の心に深く残り、今でもふと思い返すことがあります。彼女との出会いはヤフーオークションというインターネットサービスからで、もしWEBがなければ彼女のことを一生知ることもありませんでした。WEBがあるから、繋がれる人や思いがあるのだと強く知ることができ、自分も誰かの橋渡しの役目をしてみたいという衝動を起こさせるきっかけになりました。
本格的にWEB業界に踏み込むにはほかにいくつかの要因がありましたが、一番初めに強く動機付けたのはこの思い出であることは間違いありません。そして、今自分は当時の思いを実現し得る仕事をしています。オークション、EC、SNS、どれもサービスの種類は違えど人と人とのコミュニケーションを作るものです。
もしかしたら、初心を忘れないようにというメッセージをなにかが自分に伝えているのかもしれないですね。この記憶をいつまでも風化させることなく心の真ん中に置いて、これからも自分の信じる道を歩んでいこうと思います。
投稿者 : 山本 貴幸 | 投稿日時 : 2008.10.19 00:02
国策プロジェクト「第5世代コンピューター」から学ぶAIの難しさ
2008.10.17
およそ30年ほど前に、『第5世代コンピューター』の開発プロジェクトが推進されていました。
その当初の目的は、日本語で命じると動くコンピューターを目的として、推論エンジンと知識ベースの構築が行われました。
当初は「わりと頑張ればつくれるのでは」という予測の元開発に着手しはじめましたが、言語学の勉強からやり直す必要が生じたり文法解析だけでも例外処理が膨大になったりと、想定の範囲を大きく超えたイレギュラーなことが起きてしまいました。
結局、当時10年で1000億円の国家予算を投資し国産メーカー各社からエースを寄せ集めて走り出したプロジェクトも、大失敗に終わってしました。
このことは池田信夫さんの2006年8月16日のブログにも取り上げられていて、以下のように締めくくられています。
しかし学問的には、ICOTの失敗によって、人間の知能に対する機械的なアプローチが袋小路であるということが実証された点には大きな意義があった。自然言語の本質はプログラミング言語のような演繹的な情報処理ではなく、脳はノイマン型コンピュータではないことが(否定的に)明らかになったからである。ではそれが何なのかは、いまだに明らかではないが・・・
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/1a529720d99d05f354e96d4b82a1b331
たしかに、コンピューターを人間に近づけるアプローチとして、今ある王道的な手法では年々近づいてはいるものの人間に成り代わるまでにはいかないのではと感覚的ではありますが思ってしまいます。では、人間に近づく1番早い方法は?と聞かれると、どうしても「クローン」や「移植」など、結局0から作り上げる形ではなくオリジナルの一部分に依存する方法しか思いつきません。
演繹的なアプローチの先にアトムは生まれるのでしょうか。
本気でAIを作るには、今のやり方では想像も付かない、インターネット誕生くらいの大きな衝動がまた新しく必要なのかなと妄想に耽ってしまいます。
投稿者 : 山本 貴幸 | 投稿日時 : 2008.10.17 23:43
インターネット誕生秘話
2008.10.17
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○きっかけはやはり戦争
医療などの発達と同様、インターネットも軍事用途から開発されました。
時は1957年まで遡り、時代はアメリカと旧ソ連の冷戦真っ只中です。
お互い軍事的優位に立つべくしてしのぎを削っている中、旧ソ連が人工衛星スプートニクの打ち上げに成功しました。
スプートニクスの打ち上げは両国にとって非常に意味が強く、当時のアメリカにとってはかなり衝撃的なものでした。
というのも、アメリカは1950年代初めに頑張って開発していた爆撃機監視システムのSAGEが一気に無駄になってしまったからです。
なぜなら、SAGEが採用していたのは中央集中型アーキテクチャーで、海岸線にレーダー施設を設置して、爆撃機を発見するものだったのですが、スプートニクスが核弾頭ミサイルを搭載して宇宙から攻撃してきたら攻撃を感知することができだいどころか一発で国防戦略が崩壊してしまいます。簡単に言えば、一箇所に情報を集める仕組みだったSAGEにとって、そこにスプートニクスによって攻撃されると一発でアウトになってしまいます。
これに危惧したアメリカが軍事・宇宙技術を終結した組織ARPAを作り、中央に依存しない新たな通信方式を模索しはじめました。
○ポール・バランのアイデア『時分割多重方式』
ARAPから次世代通信システム研究の委託を受けたランド研究所では、ポール・バランを中心とした研究チームを発足させました。
中でもポール・バランは「集中」「分権」「分散」の3つのネットワークを定義し、冗長性を重視し「分散」方式ネットワークを深堀しました。
しかし、冗長性だけを単純に追求すると必要な補助線の数が莫大な数になり、現実性が薄くなってしまいます。そこで、ポール・バランは『時分割多重方式』にヒントを得ました。
『時分割多重方式』とは、1つの回線で複数種類のデータを一定時間で分割しながら送ることで、複数種類のデータは渋滞することなく同時に送ることができるというものです。
例えば、X,Y,Zというデータを送ろうとしたときに、普通にXから順に送るとZが送り終えるまで時間もかかるし、3種類の回線が必要になります。それを、X1,Y1,Z1と送り終えると次にX2,Y2,Z2という風に同じ1本の回線で送ることで、データ到達時間差を押さえ必要な回線を1本に減らすことができます。
これをネットワーク上で利用すれば、リンク数が少なくても冗長性を保つことが得きると考え提案されました。
○銀河系間ネットワーク
同時期に、リックライダーがARAPのIPTOの初代室長に就任し現在のインターネットの礎となるコンセプト「銀河系間ネットワーク」について記したメモを作成します。「銀河系間ネットワーク」とは、世界中の誰もがどこからでもアクセスできるネットワークを指し、まさに今日のインターネットそのものです。
○パケットの誕生
これらの考えをより一層推進したのがドナルド・デービーズでした。
彼は「インターフェイスコンピューターによるネットワーク」という画期的な提案をしました。
例えば端末Aから端末Bにデータを通信したいとした時に、両方の端末の前にはインターフェイスコンピューターを用意し、それらの間で固定長に分割したデータをやりとりさせ、端末に届ける際にデータの塊を組み立てて、元のデータに戻して端末A端末Bへ届けていました。
このデータの塊のことを「パケット」と呼び、今日のパケット通信の走りとなったのです。
○初のパケット交換ネットワーク
1966年、ラリー・ロバーツはARPAの支援を受けて初のネットワーク接続を実現します。
データ交換は電話回線を利用し、電話回線内を駆け巡るアナログ信号をコンピューターが「0」「1」のデジタル信号へと変換できるように音響カプラーを用いてやりとりを行いました。
実際に電話回線を利用してデータの送受信をすることはできたものの、コストが高い、遅い、信用性が保証されないと実用性がありませんでした。
これらの結果を元にロバーツは「ARAPNET」を構想し、パケットを交換するインターフェイスコンピュータであるIMPの実現に関して議論をし始めました。
○ARPANETにむけて
IMPにHoneywell516というミニコンピュータを採用し、IMPの開発を始めました。
しかし、IMP開発の最大の問題は「IMPとコンピュータ端末とのコミュニケーション」でした。なかでも、文字をどう扱うかが争点となりました。
例えば、「えびふらい」という文字を送信したときに、他のコンピュータがそれを「えびふらい」と受け取るために、共通の情報加工法を用いる必要があります。
それを実現するために「ビットマップ方式」と「ASCII」の2つの方法がありましたが、「ビットマップ方式」には一文字当たり49ビットなのに対して、一文字当たり8ビットで済む「ASCII」が採用されました。
○ARPANETでのパケット交換開始
ARPANET構想から1年近く経ち、4つの拠点による接続が試験されました。
IMPとコンピュータ、IMP同士がそれぞれ接続されるというシンプルなもので、最初のログイン中に端末がクラッシュしたものの、その後は接続成功しました。
○インターネットへの舵取り
ARPANETが普及するのにパケットサイズやメッセージフォーマットの決め方など、インターフェイスが異なることが大きな障害となりました。そこで、ボブ・カーンとビント・サーフらは共通のプロトコルTCP/IPをインターネット標準規格としました。これが、今のインターネットです。
---
長くなりましたが、これが現在の形を成すまでのインターネットの軌跡です。
ちょっと難しい話も入ってますが、先人の苦労が今の便利なインターネットを作り上げたのですね。
こういう歴史的な背景を知ることは、そのものを深く知る上でとても大事なことですね。
投稿者 : 山本 貴幸 | 投稿日時 : 2008.10.17 00:47
寝ずにやればきっと
2008.10.16
先輩とお会いしてお話した!
MBA先輩に「仕事が終わってから、平日何時間くらい自分の勉強してました?」
と聞くと
「睡眠時間が4.5時間で業務時間が8時間。
残りの11.5時間は全部勉強してたよ。」
とさらっと言われした。ちょwww毎日11.5時間ってwww
僕の受験ピーク時より勉強してるじゃないですか。。。
---
場面変わって、僕のメンターさんに「前職でなにしてたんですか?」と聞くと、
「グラフィック系の仕事をしてたよ。PSのゲーム作ってた。」
と返事が返ってきました。
ふむふむと思いメンターさんの名前で検索をかけてみたら、
なんとファイナルファンタジー7のグラフィックを作ってた人でした><
スタッフロールにもちゃんと名前が載っており、その時開発したグラフィック技術
で特許申請までしていました。次元が違いすぎ。。。
---
先輩方のすごさを目の当たりにして、自分の浅さに絶望すると同時に、高ぶる鼓動を感じました!俺もやればできるはずだ!毎日3~5時間程度の勉強で満足してましたが、目指せdaily 10 hour over!寝ずに勉強すれば、なにかのスペシャリストになれるだろう!生きた証をどこかになにかで刻め!!
投稿者 : 山本 貴幸 | 投稿日時 : 2008.10.16 00:41
WEBで火がつくギタリスト 『Andy Mckee』
2008.10.13
彼の名はAndy Mckee。
見てお分かりのように、珍しい演奏スタイルと作曲の
才能のために、厚い支持があるギタリストです。
この「Drifting」は代表曲で、まるで打楽器のように
ギターを操る様は、楽器が体の一部のようです。
しかし、ただうまいだけで取り上げたわけではありません。
Andy Mckeeはもともとそれほど有名だったわけではなく、
2006年後半にレコード・レーベルによってこの曲をyoutube
に上げられ、そこから火がつき一瞬にして人気を博したのです。
むしろ、なぜこれほどの腕を持つ人が今まで舞台で光を
浴びなかったのだろう。きっと彼のほかにも、土の中に埋もれる
ダイヤの原石は存在するはずです。
WEBによってそういう人たちを大勢の人の目に届けられる。
インターネットの力を象徴する1人の偉人ではないでしょうか。
投稿者 : 山本 貴幸 | 投稿日時 : 2008.10.13 13:38
『YES-プログラム』 社会に漕ぎだす若者のための羅針盤
2008.10.12
YES-プログラム:5分でわかる「YES-プログラム」 | マック de バイト | McDonald's Japan
http://www.mcdonalds.co.jp/recruit/crew/yes/yes.html
昨日渋谷のマックにふらふらっと立ち寄ったときに、
トレイに敷かれた広告に「マクドナルドで働くとYES-
プログラムを受けたことになって就職にも生かせる」
といった内容が書かれていました。
帰ってさっそく調べてみると、YES-プログラムは
Youth Employability Support Program(若年者就職
基礎能力支援事業)の略で、企業が若年者の就職
に関して特に重視している「コミュニケーション能力」
「職業人意識」「基礎学力」「ビジネスマナー」といった
就職基礎能力の修得を支援する、厚生労働省が創設
した事業みたいです。
それを、民間企業で唯一、マクドナルドが教育システム
を有していて、クルーとして働くことで認定を受けるいく
らかの条件をパスできる、というものみたいです。
(詳しくは上記のURLを参考にして下さい)
そもそも、このプログラム自体がどれだけ企業に対して
価値のある資格なのか、さらにこのプログラムはただ
マクドナルドで働くだけで半分以上の条件をパスできる
ので「自然と身につく」と謳っているところが少し大げさ
な点が気になります。そんなの、どこでも接客すれば
それなりに能力はつくし、マクドナルドに限ったことでは
ないと・・・言ってもしょうがないですかね^^;
今回『YES-プログラム』をエントリーに取り上げたのは、
「厚生労働省認定の資格を取ろう!」という意味ではなく
せっかく働くなら後の自分のために繋がるようなことを
しようということが言いたかったのです。特に学生とも
なると、数少ない社会と面する絶好の環境なので、教室
では味わえない体験をかみ締めてほしいです。早いうち
に修羅場を体験したほうが、その後の伸び率に直結し
ます。「短時間で楽に高収入」なんてバイトは、金は入る
ものの、働くことへの歪んだ価値観を埋め込んでしまう
恐ろしさがあるので気をつけるべきです。
コミュニケーション能力、マナー、職業人意識は仕事だけ
に限らず、プライベートの人間関係においても役に立つ
のです。自分がしっかりしてくると、周りの目も尊敬の眼
差しに変わってくるでしょう。
そういう意味では、マクドナルドの「YES-プログラム」は
それ自体がいいというわけではないですが、自分の成長
を確認する1つの目安としていいのかもしれないですね。
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」
今苦労をして、後の自分を楽にしてあげるか。
今楽をして、後の自分にツケを払わせるか。
未来の自分を優しくしてあげられるのは、今の自分でしかありません。
投稿者 : 山本 貴幸 | 投稿日時 : 2008.10.12 15:08
お金と時間は、他人のために使え
2008.10.11
大学の卒業式を控え実家に帰省した時に、
社会へ巣立つ私へ父から一言だけメッセー
ジをもらいました。
『お金と時間は、他人のために使え』
重々しくゆっくりと、そして目をまっすぐ見て
この一言が放たれました。要領を得ない様子
の私を見て、父がまた口を開き、
『人の繋がりは、何事にも耐え難いものになる。
1人で生きていくことには限度があるけど、人
の助けを借りることができれば、決して1人では
できないことが実現できる。
いざというときも、人の繋がりが1番頼りになる。』
わかったような気になってその場は頷きましたが、
社会に出て半年経つことでやっとその意味が少し
だけわかりつつある気がします。
1人では考えも付かないこと。
1人では収集できないだけの幅の広い情報。
1人では実現できないスケールのこと。
今の自分を突き動かしている原動力に火をつけた
のは、他人から受けた影響がほとんどです。
技術的にはるかに高い人と出会い、あの人のように
なりたいと憧れて。
グローバルな職歴を歩み、豊富な経験を積んでいる
あの人のキャリアをなぞり。
人として1番大事な広義の優しさを背中で教えてくれ
たあの人のようになりたいと望む。
自分の心の中心部分にある頼りなく灯るロウソクに、
強い風を吹かせて高く燃え滾らせてくれるのは、自分
の中から生まれる風ではなく他人が吹かせてくれる風
でした。
人は、『人』から1番大きな影響を受ける。
だから周りを大事にしていれば、結果として投資した物
以上の価値を得ることができるのです。
自分にとって価値のある情報(形あるもの形ないものも含
め)を提供し合える関係を築くことが、仕事の上でもプライ
ベートの上でも最大の力となることを忘れないでいようと
思います。
投稿者 : 山本 貴幸 | 投稿日時 : 2008.10.11 00:18
時間の尊さを知れば、真面目に生きる
2008.10.09
悲喜交々な日々を乗り越え、なんとか前向きに
過ごしてきました。こう振り返ってみると、自分も
半年前までは長い長い学生時代に浸っていたの
だなと遠い昔のように感じてしまいます。
学生時代と社会に出てからの最も大きな違いは、
やはり「時間の貴重さ」に気付けたというところに
尽きます。
学生時代は1番「時間」と「自由」を持て余していて、
それがあまりにも長い間当たり前にあったので気が
付くとその貴重さに鈍感になっていってしまう。時間
がありすぎることと自由すぎることとは、かえって人
を鈍くしてしまいますね。
なにもしなくても今日が終わって明日が来る。
一般家庭で育った大多数の人たちは、暮らしに困る
こともない。せいぜい、欲しい物に手が届かずにアル
バイトをして必要な分だけ稼ぐくらいだと思います。
そのことを考えるたびに、社会学の講義取り扱った
デュルケームの「自殺論」がちらちらと脳裏をかすめ
ます。『戦争が自殺の増加に抑制作用をおよぼす』
という一文は非常に有名で、人は強制な一定方向の
力が加わると、時間・自由を奪われるのと引き換えに、
やるべきことを見つけてそれに懸命になる。その結果、
戦争中が1番自殺をする人が少なくなるんですね。
なにかに縛られないと自己管理をしてストイックに
自分を追い詰めてやることはとても難しいことです。
社会に出て、一日の大半を会社に費やすことで、余っ
た自分の時間の貴重さをとても重く感じます。学生の
頃、講義中にうとうと寝ていた10分と、仕事の残業後に
帰宅して過ごす22時からの10分では、雲泥の差があり
ます。同じ1分1秒にかける意識は、想像以上に大きい
です。
加えて、自分の描く理想像があるのなら、それを実現
するまでの時間を逆算していくと、もっともっと時間を
大事に扱うことができます。
25歳までには司法書士になる。
30歳までにはMBAを取る。
35歳までには議員になる。
そう考えると、私なんかはもう23歳なわけで、平日に
自分のために使える時間はたかが数時間。同僚の
付き合いに乗らざるをえないことも考えればもっともっ
と時間は与えられません。
そのことにこの半年で気付き、今は「時間」を「お金」
なんかよりとても大事にしています。技術力を上げて
早くあの人に追いつくためには月に何万でも本を買う
し、早く多言語がしゃべれるようになり仕事にいかすた
めには、高い月謝を払ってでも教育機関に入学する。
お金なんて増えたり減ったりするものだし、もっと言え
ば為替は変動する。貯金をするために自己投資をし
ないなんて、目の前しか見えていないのと同じだと思
います。100万円の入学金を払って2年間語学を学べ
ば、仮に2年後から今の給料に5000円上乗せされる
と16年後には投資額が回収できてそれからはプラス
になり続けられる。少なく見積もって計算しても、これ
だけ単純な計算で損得を算出できてしまう。
それより、「時間」はどう足掻いても巻き戻らない。
自分のゴールに最短でたどり着ける方法をお金で解
決できるのなら気前よく投じればいいし、そうして濃厚
な日々を1日1日過ごすことができたならば、成熟され
た人間性をも獲得することができます。
だらだらしたくなることもあります。
何かに執着したくなるときもあります。
だけど、いつでも時間の尊さを思い出せる牽引を脳に
こびり付けて、悔いのない1度きりの人生を駆け抜けて
いきたいものですね。
投稿者 : 山本 貴幸 | 投稿日時 : 2008.10.09 22:48
お誘いを断るならアフターフォローを!
2008.10.07
仕事が終わるとよく遊びに出かける社員を見ます。
私の周りも同じ現象が起きているわけで、たびたび
「ダーツに行こう!」「もつ鍋食べに行こう!」と先輩
方にお誘いいただいています。
23歳という年頃な私も仲のいい同僚とわいわいと
酒を酌み交わしたりして過ごしたいのですが、今は
まともに仕事ができているわけではないので業務外
の勉強が必要になります。
みなさんに迷惑をかけないように勉強しなければい
けない。だけど、そうなると先輩方のお誘いを断らな
ければいけなくなる。長い目で見ると会社や先輩方
のためになるのですが、いざ断られると「ノリが悪い」
と片付けられてしまいます。そうなると、だんだんと
先輩方の白けた目が向けられそうになるのではと
非常に心配になっていました。
だからといって、誘いに乗り続けるといつまで経っても
学習が進まず、といった具合に矛盾が生じてしまいま
す。結局お誘いを断り残って職仕事をしていると、同じ
ように残られていた先輩がいたのでそのことを相談しま
した。
先輩に言われたことはただ一言で、
「じゃあ、お前が都合がいい時に誘うとかすればいい」
とのことでした。
断ることで悪い気がするなら、「先日はすみません。
よろしかったら今晩ダーツに行きませんか?」といった
具合に埋め合わせを提案することで、先輩に対して
好意があることが伝わるので、だんだんと白けていくこ
ともないと教わりました。
そもそもこういうことは、私たちのプライベート事と同じ
で、好意のある人との約束をふいにしたときに「前は
ごめんね。●日にまた遊ばない?」というふうに自然に
していることと変わらないのだと言われました。その
言葉に深く納得しました。
自分が大事にしたい時間があるならば、それを絶対に
つぶす必要はなく大事にしたままでいい。だけど、そ
れによって傷ついた信頼関係を癒すのは「決して嫌い
ってわけじゃないんだよ」ということを行動で示すこと
なんだなと学びました。そもそも、誘ってくださる先輩が
いて、それをお断りしないといけないという悩み自体が、
贅沢な悩みなのかもしれないですね。
投稿者 : 山本 貴幸 | 投稿日時 : 2008.10.07 22:39
エンジニアの未来羅針盤
2008.10.01
の方が多くいらっしゃいます。しかし、エンジニアを経験し
てきた方々は現場でもバリバリコーディングをしているか
というと、そういうわけではありません。技術のわかるプロ
デューサーや管理職としてチームの舵をとっておられます。
私は、まともに働きだすまでエンジニアのすごさというのは、
話題性のあるサービスや技術を作り出すことだと思い、ひた
すら技術だけを磨いてきました。しかし、実際に先輩方と働
き出して、どうやら当初思っていたイメージとは違うことが少
しずつわかってきました。
これは以前、私の師であるマイネット・ジャパンCTOの松尾
さんに教えていただいたことなのですが、エンジニアとして
のすごさというのは、ただ早く大規模なものが作れるという
ことではありません。早く大規模のシステムを作りたければ、
アジアの教育熱心な国(インドや中国など)から優秀で、な
おかつ日本人の正社員を抱えるよりだいぶ安いコストで開
発をすることができます。私の現場も国際関係ということも
ありますが、スピーディーに開発されるアジアな方々がたく
さんいらっしゃいます。これから先10年20年を見ていくとIT
業界が飽和していって国内でエンジニアとして生き残る日
本人は本当に限られた人になると、多くの先輩が口を揃え
ておっしゃられていました。
では、来るべき厳しい将来にどう立ち向かえば良いでしょう
か。
ひとつとしては、とにかく技術を極める。ようは誰にも負
けないものさえ持っていれば不要になることはないので、
そのためにニッチでも他にないなにかを持つことが大事で
す。あわせて、技術の流行り廃りが本当に早いので、常に
何かに終われるように勉強をする必要があります。
ふたつめは、管理や取りまとめる立場に立つこと。
幼い頃からしっかり教育を受けてきた人たちと真っ向から立
ち向かうことは至難の業で、ブリッジエンジニアとして言葉の
違うエンジニア同士やエンジニアと企業の橋渡しとなれるエ
ンジニアになることが賢明かと思います。アジアからエンジ
ニアを輸入する流れが激しくなることは明白なので、その波
にうまく乗っかれることが賢いのではないでしょうか。
前回のエントリーで「英会話スクールに通いはじめました」と
書きましたが、実はこれは紛れもなくブリッジエンジニアとし
ての将来の道を考えてのことです。早め早めに自分のキャリ
アパスを考えることは、国際化の波が業界にも浸透している
中で、とても大事なことだと思います。
最後になりますが、私の師匠である松尾さんの言葉で締めく
くらせていただきます。
モノを作るのは実はすごく簡単なんだよ。休日に個人でもで
きるし。仕様通りのモノを凄く早く作る人なんて、中国とかベト
ナムとか協力会社にゴロゴロしてるし、人月単価で勝負になら
ないわけで。難しく重要なのは、チーム開発を如何に問題無く
(メンバーが幸せに)行うか、ということ。
投稿者 : 山本 貴幸 | 投稿日時 : 2008.10.01 20:21

